先日、職場の同僚が新人に対してレクチャーをしているのを横で聞いていました。その中で、
自分はいつも丁寧な言葉づかいを心がけている。
丁寧な言葉を使うと、相手も気持ちいいし、使っている自分も気持ちよく、穏やかな気持でいられる、
ということをさらっと言っていました。
私はそれを聞いていて、おっ素晴らしいな、、と思いました。その人は確かに、ふだんから言葉遣いが丁寧でいつも穏やかです。
何かを人に伝えるのに、乱暴な言葉を使うと、一見、相手がすぐに動いて良いように思えますが、
相手の恨みを買いますし、それを聞いている自分もイライラが募るような気がします。
乱暴なことばというのは、時々ニュースでウクライナの戦争で大砲をぶっ放しているシーンとかが映りますが、
あれと同じで、弾を打ったと同時に、その強烈な反動が後ろにきます。
自分が与えたものを反動で即時自分が受け取っているのだと感じます。
なので、もし受け取るなら、優しいことばを受け取りたいものだと私は思います。
何かに対するアクションというのは、いままでの生育歴の中で培ってきた習慣によって自動で反応しているものです。
でも、本当はそのアクションを起こす時点が運命の分岐点であり、そこに自由意志の余地があると感じます。
運命を変えていける人というのは、そこに自由意志の余地があることを知って、ものごとがいい方向に向かっていくようなアクションをとっていける人だと思います。
逆に、そこで感情のままいつものように自動反応しているひとは、いつまでたっても同じ因果の軛の中にとらわれて、同じ状況の中にぐるぐると留まってしまうのだと思います。
斎藤一人さんが、一見不運だと思う状況にあっても、最初に、
ツイてる、ツイてる、あ~幸せだな~、
と言ってみるというのは、まさにそこにあるんだと思います。
また、人の嫌なところをみたとしても、
人の悪口を言わない、不平、不満を言わないようにする
というのも同じで、
まずは、ありがとう~、ありがたい、ありがたい、ツイてる、ツイてる、といってからその理由に思いを馳せてみる、そのひとの長所に焦点をあてるようにするのがいいのだと思います。
それは結局、人のためであるとともに、自分のためであるのです。
スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏は、宿命と運命の関係をケーキに例えて説明しています。
宿命というのは、ケーキの土台となるスポンジのようなもので、
運命というは、その上に塗るクリームなどのデコレーションだといいます。
生まれた時代、場所、家庭は宿命として変えられませんが、
運命というのは、与えられた環境を土台として、その先は自由意志によって自分でいかようにも変えていけるものだということのようです。
人はつい習慣で、眼の前のものごとに対して自動反応をしてしまうものですが、
その出来事に対して、人に対して、そして自分に対して、いい言葉を使うことを心がけて、状況を好転、運気を上昇させていけたらいいなと思います。
自戒の意味を込めて、、
タイトル: 丁寧な言葉を使う♪
でありました。
<(_ _)>
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