2009年4月2日木曜日

日本人の独創性



博士の愛した数式』の小川洋子さん関連で

藤原正彦・小川洋子『世にも美しい数学入門』筑摩書房 2005
藤原正彦『天才の栄光と挫折 数学者列伝』新潮社2002

という本を読みました。数学者の藤原さんによると、数学の世界において日本人はかなりの独創性を発揮してきたそうです。

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日本国民はあまり知らないと思いますが、日本の理系で一番強いのは数学なんです。<中略>

数学のすごさは、物理や化学や生物などよりはるかに上です。江戸時代の和算の頃からそうです。鎖国の中で関孝和や建部賢弘など大天才が輩出しました。

大正時代中期には高木貞治という天才が、類体論という壮大な理論を樹立して世界のトップに並んじゃった。第一次世界大戦により大先進国ドイツからの文献が途絶えた時期に、まったく独立でやってしまった。

なんで日本人が数学的にすごいかといいますと、美的感覚がすぐれているからなんです。二十数年前に亡くなられた、天才数学者の岡潔先生は、日本に俳句があるからだとおっしゃる。大自然をたった五七五でビシッと表現しつくすと。『世にも美しい数学入門』p.27
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1990年代に「フェルマーの定理」という何百年も数学者を悩ませてきた大問題がイギリス人数学者のアンドリュー・ワイルズによって証明されましたが、彼が証明できたのも実は数々の日本人の数学の業績があってのことだったそうです。

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小川 「フェルマー予想」が証明されるためには、「谷村=志村予想」でしたっけ、日本人の研究成果が非常に重要な役割を果たしたそうですね。

藤原 一九七〇年ぐらいに完成された「谷村=志村予想」というものがあって、あれが解ければ「フェルマーの定理」も自動的に解けるというのが一九八十六年にわかった。

だから、アンドリュー・ワイルズが直接に証明したのは、『フェルマーの定理」ではなくて「谷村=志村予想」なんです。で、この「谷村=志村予想」というのが、とてつもなく美しい奇妙奇天烈なもので、日本人の独創性、美的感受性を表した、ほんとうに素晴らしい予想なんです。『世にも美しい数学入門』p.76
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ワイルズは一度、定理の証明に成功したと世界に公表するのですが、実はそれにあやまりが有ることに気付くのです。しかし、、

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日本の岩澤健吉先生という人がつくった「岩澤理論」という、非常に美しい代数整数論の理論を用いるということがひらめいたんですよね。さっきの虹のかけ橋にとえると、できたはずのかけ橋に一か所大きな穴ぼこがあり、渡れなかった。

ところがすぐ横に、「岩澤理論」という高い峰があるのに気がついて、そこを足場に穴ぼこを埋め、手でひょいと「フェルマーの定理」という星をつかまえたんです。<中略>

ワイルズの論文は、伊原康隆、肥田晴三、加藤和也氏などの仕事にものっかっています。<中略>

日本人というのは、ほんとうにすごい独創性、美的感受性を持っているんですね。欧米の国々は日本が猿真似国家だとか言って自信を失わせようとする。

ライバルに対しては、戦略上、相手の自信をなくさせるのが一番効果的ですから。それを鵜呑みにして、日本人はダメだダメだと、日本人までが言う。『世にも美しい数学入門』p.82-84
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数学の独創性に関して、先にあげた和算においては、世界的にも相当なレベルに達していたそうです。

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和算は、そろばんや算木に頼る元の数学書と、二、三の暦書から出発して、日本一国のみの力でこれを発展させ、十八世紀末には、部分的には同時代のヨーロッパに対抗できる、代数学と微分積分学にまで到達したのである。

これは鎖国のもたらした真に驚嘆すべき歴史上の椿事であり、日本人の独創性に関するいわれなき疑念を吹き飛ばす、快挙でもあった。『天才の栄光と挫折』P.67-68

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これは『天才の栄光と挫折』の中にあった関孝和(せきたかかず)の章にかいてあったことですが、その弟子の建部(たけべ)というひとも相当すごかったようです。

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建部賢弘は孝和の円理を発展させ、弧の長さを無限級数で表すという離れ業をやってのけだ。今の言葉でいうと逆正弦関数のべき級数展開である。

これは孝和があくまで代数的だったのに比べ、解析学へ一歩踏み出したという点で画期的であり、代数学者オイラーが微積分学を用いて同じ公式を発見する十五年前のことだった

明治三十三年に東大の菊池大麗が、これを英文で和算の成果として西洋に紹介したが、すぐには信用してもらえなかったそうである。

一九八〇年になっても、高名な数学者のファン・デル・ヴェルデン教授が、立教大学の村田全教授に「本当に建部は西洋数学をほ知らなかったのか」、と言って絶句したという。

『数学は単一の原始数学が各地に伝えられ継承されたもので、種々の文化圏の中で独立に生まれたものではない」というファン・デル・ヴェルデン教授の主張に対する大きな打撃となるものだからである。『天才の栄光と挫折』p.63

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私は数学に限らず、日本人には相当の独創性があると思います。

これまでこのブログで再三取り上げてきたような肉や牛乳をとったら元気になるという刷り込みと同じで、第二次世界大戦敗戦以降、私たちは、日本の文化は欧米に比べて劣っているんだ、ということを刷り込まれ、また自分たち自身にそう思い込ませてきたと思うのです。

しかし、日本人は日本人ならではのよさがあり、それを追求していく事で逆に世界に認められるということに繋がるのだと思います。

日本の製造業がそうだし、日本のアニメ、最近でいえば、WBCでの優勝や、前回とりあげた「おくりびと」などもそうだと思います。

しかしこの民族主義が極端になると他の文化を排斥したり、テングになって変な方向にいってしまうのではないかという気もします。


先にあげた数学で言えば、和算は学問というよりかは技芸のひとつであって、そこには私たちが学んできた数学からしたら違和感を覚えるようなこともあったようです。

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宗派を作り最高の秘伝は特殊な高弟にしか教えない、という秘密主義に関しては批判もあった。『天才の栄光と挫折』p66

また和算家が哲学や思想と疎遠だったことは、論理性とか論理体系という点で物足りなさを残した。<中略>

例えば円を扱ってはいても、円や接線の定義はなされず、悟ることが要求されていた。『天才の栄光と挫折』p.67
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私は日本人の特性として、箱庭的というのがあると思います。すごくせまい範囲を極めるのは得意だけど、その箱庭的な世界と全体とのつながりとか、大きな視野でものごとをとらえるのが苦手なのかなと思います。

たとえば、ある言語学者がいっていたのですが、日本人のもともとのことばである”やまとことば”は、直接的、具体的、主観的なものが多いそうで、松や桜などの固有名詞はあっても、それをまとめる「植物」などということばはなく、それを表現するためには漢語をかりてこなければならなかったそうです。

ということは、日本人の意識はもともとそういう個々の現象の機微をとらえる方に行きがちであり、それは長所であるとともに短所ともなるのだと思います。

またこれとの関連で、先の和算のように、日本人はすぐ宗派、派閥をつくって、秘密主義にして情報は仲間以外の人には教えないとかいうことをやりがちなような気がします。

たとえば第二次世界大戦で海軍と陸軍は同じ仲間なのになぜか仲が悪くお互いに覇を競い合っていたそうで、軍部の暴走をまねいたのはこの派閥的な思考形態がひとつの要因であったということが言われています。

先に上げた、

円や接線の定義はなされず、悟ることが要求されていた、

という記述もいまの人からすると、ぷっと笑ってしまいます。

自分たちが築いた知識を秘密事項などせず、オープンにしてみんなで共有すれば、また外から新しい見解も得られてさらに自分達のためにもなるのになぁと思います。ここら辺が、和算が西洋的な数学となれなかった所以なのでしょうか。

こういう記述を読むと、宗教でいわれる口伝とか秘伝とかいわれるものも、意外とそれほど大したことでもなく、ただ自分達に関心を集める為に子供のように秘め事をして大事に守っているだけなのかな、などと思ったりもします。

私は日本人、日本の文化には相当独創性があると思います。だからそんなに卑下する必要ないし、また逆に傲慢になる必要もないと思います。

ただ日本人の特性として、狭い範囲だけに目がいって、へんに秘密主義になったり、宗派や派閥をつくったりする方向に行きがちなので、職人的、オタク的な仕事をしながらも、オープンである事を心がける事が大事なのかなと思います。

それが今日、製造業にしても、アニメにしても、映画にしても日本が世界に評価されている点だと思うのです。

冒頭にあげた二冊からは、このような点が心に浮かびました。

本の内容に関しては、まだ書きたいことがあって、数学の天才がうまれる文化的な三要素やインドの数学の大天才ラマヌジャンのことなども取り上げてみたいと思っています。

今回はだいぶ長くなってしまったのでこれぐらいにして、また別の機会に書こうと思います。



おしまい。

参考:

藤原正彦『天才の栄光と挫折 数学者列伝』新潮社2002
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%81%AE%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%A8%E6%8C%AB%E6%8A%98%E2%80%95%E6%95%B0%E5%AD%A6%E8%80%85%E5%88%97%E4%BC%9D-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E8%97%A4%E5%8E%9F-%E6%AD%A3%E5%BD%A6/dp/4106035111/ref=sr_1_16?ie=UTF8&s=books&qid=1238658411&sr=1-16

藤原正彦・小川洋子『世にも美しい数学入門』筑摩書房 2005
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%95%B0%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%97%A4%E5%8E%9F-%E6%AD%A3%E5%BD%A6/dp/4480687114/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1238658351&sr=8-1

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