2009年12月8日火曜日

言語表現と数学的思考 ~ その四 ~



シリーズものをまた再開します。

前回プルーストとイカ』について悪い印象を書いてしまいましたが、

内容自体はとても面白く為になるものだったので、ここで内容をざっと紹介しておきます。


◎ 字を読むための遺伝子というのはなく、人は今までに獲得してきた脳機能をリサイクルして文字が読めるようになっている。(後天的な教育の重要性)

◎ 字を読むというのは、視覚から始まって、形や音の認識、意味の理解、過去の体験との照らし合わせなど様々な要素が関わる複雑な機構によって成り立っている。

したがって識字障害(ディスクレシア)にも色々なタイプが存在する。

◎ 言語には大きく分けて、英語のような表音文字と中国語のような表意文字があり、それぞれに認識のために使用している脳の領域が異なる

英語と中国語のバイリンガルの人が脳に障害を持った時に、どちらか一方だけが話せなくなるということがあるそうです。

面白いことに日本語は、かなと漢字があるため、文字の認識のためには英語と中国語のために使われる両方の機能を使っている。

識字障害(ディスクレシア)には、特異な能力を発揮する人々がいて、

たとえば有名人としては、トーマス・エジソン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アインシュタイン、トム・クルーズ、キアヌ・リーブスなどたくさんいるそうです。

したがって文字の読み書きに問題があっても決して能力の低い人間というレッテルを張るのではなく、その子のもっている長所を引き出すように育てることが大切なのだそうです。

◎また一般的に、識字能力を高めるためには、小さいころからの

本の読み聞かせ家族との会話



が極めて大事だそうで、これをやっているかやっていないかで、能力に相当の開きが出てくるのだそうです。


本書には胎教については書いてありませんでしたが、実は子どもは胎児のうちから親の話す言葉に反応していることがわかっています。

従って子どもが胎内にいるうちから積極的に話しかけると言うのは大事なことだそうです。

胎教は昔から効果があると言われてきたことですが、

一時期、脳の発達していない子どもが音を聞けるはずがないという”科学的”見解によって迷信として否定されました。

しかしその”科学”が技術の進歩にともなって発展した結果、胎教にも効果があることがわかったのです。(参考:『「学び」の復権―模倣と習熟』 辻本雅史)

ここら辺のことはよくよく知っておいた方がいいと思います。

たとえば臨死体験者は、医者が彼らは死んでいるから聞こえないだろうと冗談のようなこといいあっているのをちゃんと聞いていて、

あとでその場の状況や言っていた内容をつぶさに語り、医者の顔を青ざめさせたという話はよくあります。

チベット死者の書では、聴覚は最後の最後まで働いているので、その耳元で死者の書の経典(バルド・トゥエ・ドゥル)を語るのです。

科学で迷信であるということが実は本当であったり、科学で世紀の大発明とされたものが人類にとって最悪のものだったりすることは頻繁にあることです。

私たちは最低限、科学や権威のあるものを妄信することなく、自分たちの理性を働かせてその都度判断していきたいものです。


さて「プルーストとイカ」に触れたついでに、言葉についての私の体験を書いておきたいと思います。

それは「書く」ことについてです。

私は真言宗の僧侶として修行していたことがあるのですが、そこでつらかったことのひとつが食事でした。

食事の内容が、白米とおかず一品、それも煮た大根二切れとか、こんにゃくとかだけなのです。(せめて玄米だったらだいぶ違ったかもしれませんが)

行は一日三座あって、朝一の行は午前二時ごろ始まります。

朝の二時って、夜やんけぇ~

などと心の中でひとりツッコミしたりしたものですが、行の間、たとえば観想の中でマンダラを築いていったりするのですが、

お腹がすいているため、食事のことなどが思い浮かんだりするのです。

う~ん、これはまずいなぁ~、

と思い、思案した揚句、私はとりあえず修行明けにやりたいことをノートに書いておくことにしました。

食べたいもの、行きたいこと、したいことをすべてノートに書きだしました。

すると不思議なことに、次の行からは食事のことが頭に浮かんでこなくなったのです。

自分の想念を文字にするって力があるんだなぁ~と実感しました。

考えてみると、たとえば建っているビル一つとってもみても、はじめは何もないところから、人の頭に構想が浮かび、

それを図面に起こして、現実にビルが建つという順番になっています。

この流れの中で、想念のなかにあるものを紙に書き出すだけで、だいたい60%ぐらいがすでに現実化したことになる、というのが私の感覚です。

脳は想念を実現させてやることで、それに関する思考をやめるようです。

これを実感して以降、私は今日やること、今月中にやること、今年やること、一生のうちにやっておきたいこと、

などを書きだすようにして、それを見えるところに張り出しておいたりしています。

そうすると、自分に対するプレッシャーもあるのか、結構書いた項目を実現できていくように思います。

書くという行為自体、自分の心の中にあるうやむやしたものを明確化し、この「現実世界」に言葉という形で現実化させる行為であるから、

思いを書きだすだけで実現へ一歩踏み出すことになり、実現度が多いに増すように感じます。


もうひとつものごとを実現させるのに私が有効だと思うのは、

やりたいことを人に言わないで自分の中でじっと温める

というものがあります。

実現させたいことをまわりの人にいうことで、自分にプレッシャーを与えることになるのでいいという人もいるようですが、

私の場合、人にいってしまうとエネルギーが漏れるという感じがあって、いってしまうことで実現度が下がるように感じます。

従って実現させるまでは、どんなに人に言いたくともぐっとこらえて我慢している方が、実現度がずっと高まるようです。

あるネイティヴアメリカンのシャーマンの本を読んでいた時も同じようなことが書いてあったので、ああやっぱりそうなのかと思うことがありました。


さて、いよいよ年末です。

試しに今年の内にやっておきたいことをリストアップして、自分がよく見るところに貼ってみてはいかがでしょうか。

そして達成した事柄をひとつずつ横線を引いて消していくのです。

どのくらい達成できるか試してみると、結構面白いですよ。



つづく、、、




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