2024年6月30日日曜日

視野の広い人、狭い人 ~ 天国に行く人・地獄に行く人・浮遊霊になる人? 斎藤一人さんのご著書より

 

最近、斎藤一人さんのコチラのご著書を読ませて頂きました↓





もともと私は一人さんの講演が聞きたくて、CDのついている本を片っ端から検索して購入していた時期があったのですが、

この本はそんな時に買った一冊で、CDは何度となく聞き、内容は知っているつもりでいましたが、、、

ところがどっこい!

CDになっているのは本の後ろ方だけで、内容は全く知りませんでした。

読んでみてビックリ!!

一人さんが霊に関わことをここまでつまびらからに、あますところなく語りつくしていて、

驚愕も驚愕!

ああ、向こうの世界ってこんな感じになっていて、
霊が障るとかいうのはこういうことなのか、、

というのを知ることができ、とても勉強になりました。


そもそも、こちらの世界が主であちらの世界が従なのではなく、

あちらの世界こそが真実、絶対の世界であって、
コチラの世界の方が仮、うつろな世界なのだと私は思います。


この世は、たとえるならカクテルを作るシェイカーというものがありますが、

あの中で、氷や水分や液体、気体などが、がしゃがしゃがしゃと混ぜ合わされている世界でありますが、

あの世というのは、氷は氷、水分は水分、気体は気体で完全に別の世界に分離して存在しているといった感じではないかと私は考えています。

そして、向こうの方が実の世界でありますから、

こちらの世界で、なるべく向こうの世界のことを視野に入れながら生きることが大切なのではないのか、と考えてきました。

なのに、なんでそれに関する正しい教えがないんだ~、、

と私は歯がゆい思いをしていましたが、最近は一人さんの本を読むことで、腑に落ちることがおおく、この世のこと、向こうの世界のことのことが実に明快に把握することができるようになりました。

同時代にこうした方がいてくれているなんて、本当に有難いことです。ただただ感謝!奇跡であります。


私は一人さん関連の本は100冊近く読んできましたが、
こちらの本は、一人さんの本としては、異色中の異色であります。

ただ、読んでみて気づくのですが、
本来、一人さんはこういった世界の人なんだなということを実感しました。。

それで実業界でも大成功を収めて、、って本当に凄すぎます!


さて、出だしはこんな感じでした↓















視野が狭い人というのは、今生だけで物事を見てるんだよ。

視野の広い人とは、前世があって今生があって、

来世があることも知ってるんだよ。


人は死ぬとね、

天国に行くか、地獄に行くか、浮遊霊になるか。

の、どれかなんだよ。


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私はこれを読んで、

ああここまでしっかり説明してくれる人ってちゃんといるんだな~、、ありがたいことだ、、と感じました。

私は10代の頃から、もし人が死んで、仮に向こうの世界があっていくとするなら、

向こうの世界も視野に入れた生き方をしなければならないんじゃないのか、、

私は常々このようなことを考えていました。

しかし、まわりにこのようなことを考えている人は皆無で、

むしろ、あの世のこと、、なんていうのは、怪しい、イカガワシイものだ、という感じでありました。

今はだいぶ違ってきているのかもしれませんが、それでも私の周りに、このことを真剣に考えて、自分の人生に反映させて生きているという人はあまりいないように感じます。。

人はどこかに向かって生きていますが、一人さんがよく冗談で言うように、

歩いていたら、いつの間にか富士山の頂上についていましたー♪

なんてことはありません(笑)。


しっかり目標を定めて、歩いていて初めて頂上に至ることができます。

一番大きなところの視野をもって人生を歩んでいれば、たとえ紆余曲折があっても進むべき方向はわかっているので、おおよそそちらの方向に向かうことができるでしょう。

ただ、大きなところの世界を知らず、目先の楽しさだけ、人に評価されることだけを目標に生きていたら、大きな世界から見たら、まったく逆の方向に行っている可能性もありうるのです。

そのようなことにならないように、私は羅針盤となるような教えをひたすら求めてきました。

そんな中で、参考になったのは臨死体験者の教えで、生きる上で大いに参考にさせていただきました。

そして斎藤一人さんの教えは、臨死体験者の教えと同じか、それを包み込む世界観で物事を語っています。

私の中では、斎藤一人さんは、もう別格中の別格の人物として、その教えを生きる指針させて頂いており、お陰様で、実際にとても充実して楽しい幸せな毎日を送らせて頂いています。

本当に有難いことです。

ここで本書の一部を紹介しておきましょう↓







人は死んで魂のふるさとに帰った時に、二つ、質問されるんだよ。

『自分の人生を楽しんできましたか?』と、
『人助け、しましたか?』って。

中略

(人は)死んだあと、天国に行くか、地獄に行くか、それから浮遊霊になる。。



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人が死んだときに質問されることが、

自分の人生を楽しんできたか、人助けをしたか、

の二つだとすると、まさにその二つをすることが天国に行くこと、現世を楽しく幸せに生きるための指針であることが分かります。

これは何を語っているかというと、人のことを顧みず、ただ自分が楽しいことだけをしてもだめだ、ということと同時に、

自らを犠牲にして人助けだけをしている、というのも片手落ちでだめであるということも物語っており、とても大事な視点です。





地獄に行かないような生き方をすればいい。
どういうことかというと、自分が太陽になればいい


おひさまみたいに光り輝いて、いつも笑顔で明るくいればいいの。
どんなときも常に、ここを楽しく生きてればいい。





最大の人助けというのは、いつも機嫌よくしてることなんだよ。何があっても、不機嫌な顔を人に見せたりしないのが、最大の修行なの。

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一人さんが教えている言葉に

私は愛と光と忍耐です

私は神、あなたも神、み~んな神です

というものがありますが、自分がいつでも明るく楽しくしていること、
そして、人も自分のように大事にすること

この二つの視点で生きていれば、たとえ霊の世界だとか、死後の世界とかを知らなくても死んでもなんの問題もないということです。

ただ、こちらを表の世界だとするなら、裏の世界のことも知っておくことは大いに強みになるし、この世をよりよく理解するうえで欠かせないことだと思います。




自分が先祖が喜ぶような生き方をするのが先祖供養なんだ

先祖が喜ぶこと、それは、あなたが、いまいる場所で明るく楽しく生きるの。

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そうですよね、自分の子孫が、先祖の祟りがないかびくびくしながら
毎日を生きていたら、

そんなこと考えなくていいから、楽しく、生き生きと毎日を過ごしてくれよ、、

って思っちゃいますよね。それが
本当に最高の先祖供養なんだな、、という気が私もします。

ただ、私はお香を焚くのが好きということもあり、毎朝夕、線香を焚いてご先祖やその他の霊の方々、また神様にお礼を申し述べていますが、、。



さてさて、ほんの触りでありましたが、一人さんの本を紹介させて頂きました。

本書の中では、浮遊霊がつくとどんなことが起きるのか、それを祓うとどのようなことが起きるのかなど、生々しい描写がたくさんあり、とても面白く、為になりました。


なぜ、いちいちこういった本をブログで紹介するのかというと、、実は一人さんもいっているのですが、

一人さんは、霊を払ったり、人が健康になったり、幸せになったりする方法を幾多と知っているのですが、

それを教えるのは、自分が地獄に行きたくないからだ、、とおっしゃっています(笑)

どういうことかというと、無関心、人に役立つことを知っていながら、それを知っていて人に教えないというのは、地獄に行くことになるから、それは嫌なので、仕方なくやっている、、ということなのだそうです。(笑)

私も、本などを読んで

これは素晴らしい、素敵! 知ったら人の役に立つだろう
ということを結構目にするのですが、

それをそのまま自分の中だけにためておくのは、地獄行きにつながると思うので(笑)

楽しみながら書き、そしてこうして書くことで復習になり、自分の為にもなるので、積極的に書かせて頂いているのであります。


もし、今回の内容に関心があるようでしたら、ぜひ本書を手に取って読んでみてください。

はい、私の役割はここまで~!

よしっ!


下に目次を載せておきます↓






参考:







2024年6月22日土曜日

ガラクタを捨て、お金を引き寄せる磁石になる!?

 

最近、コチラの2冊の本を読みました↓




マリー=クレール・カーライル (著), 江原啓之 (監修, 翻訳)『「かわいそうな私」にさようなら! お金はこうして引き寄せる』2013




宮本 真由美 (著)『斎藤一人 世界一幸せになれる7つの魔法』2015



一冊は、江原啓之さんが監修したお金に関する本、


もう一冊は、斎藤一人さんのお弟子さんである宮本真由美さんの幸せになるための本です。


江原さんの方の本は、ブックオフでたまたま目にして、


江原さんがお金に関するこんな本監修しているのか~、、


と読んでみたくなり購入したものでした。


私はお金を引き寄せる磁石です」というようなアファーメーションをはじめ、


自らの習慣となっているマインドセットをリセットし、

豊かになるための心構え、習慣を身に着ける方法を様々紹介しており、


なるほど、そういうことかもしれないな、、


と、とても参考になりました。

一読の価値ありと感じました。


またあとがきに、江原さんのお言葉もついているので、これまたお勉強になります↓





もう一冊の方の本もまたブックオフで見つけたもので、今まで一人さん関連の本は100冊位は読んでいるので、

だぶっていないかな、、とチェックしてみたところ、まだ読んでいない本だったので購入したものです。

一人さんの教え全般が網羅的に紹介されており、

これは初心者が読んでも体系的に一人さんの哲学を学べる良書となっているし、

またある程度一人さんの教えを学んだ人が読んでも総復習となるという素晴らしい本でした!

私は、何か所も付箋を貼って、読み返してしまい、また、あまりによく一人さんの教えがまとまっている本だったので、即、人に貸しました!

この両方の本を同時並行で読んでいて、共通して同じことが書いてあって、あらっと思った箇所がありました。それが、

ガラクタを捨てよう!

というものでした。

ガラクタというものは、それがあるだけで生活のスペースがとられてしまうだけでなく、

よからぬ波動を出しているので、家に帰ってきてもなぜか疲れてしまう、、ということが起こるらしいです、、。

ということで、古い本やら雑誌やら、服から家電まで、要らない物はどんどん処分した方が良いようです。

買うことよりも捨てることの方がエネルギーがいるようなので、これは意識的に積極的にやった方がよさそうですね。

何かを達成するのに、マイナスの要因を除くこと、プラスの要因を促進するの二つ、守りと攻めとがあるように思いますが、

このガラクタを捨てるは、完全にマイナスの要因を取り除くこと、守りであり、

守りでありながら攻めと同じか、それ以上の労力がかかるもののようです。

なぜなら一度手に入れてしまったものは、粘着力というのか、感情が絡んできてしまって、なかなか手放せなくなってしまうからです。

でもそれをもったいないと放置することで、スペースはとられるは、変な波動にさらされるはでは、

逆に下手したら健康を害する、運気が落ちるということになるので、そんなことはもったいないなどといわず、バンバン処分するに限ります!

意識的に片づけていきたいものです。


少し前のネットの記事に、ガラクタに関するなかなか面白い文章があったので最後に付しておきますね。

参考にしてください。

<(_ _)>


もっと早く捨てればよかった」とみんなが後悔するものトップ7!思い切って処分してスッキリ


https://news.yahoo.co.jp/articles/853bdad94f6e61d20c61c97b7fc929ec7f8a53ed?page=1


家が片付かない最大の原因は、“ものが捨てられないこと”。「もったいない」「いつか何かに使うかも」と、今すぐ必要でもないものを、おうちの中にためこみがちな人は少なくないのではないでしょうか?


しかし、捨てられない言い訳を断ち切って、不要なものを一掃すれば、後悔することよりもメリットのほうが断然大きいかもしれません。


『kufura』では、女性175人を対象に“もっと早く捨てればよかったと思うもの”をテーマにアンケート調査を実施しました。まずはランキングをご紹介します。


第7位:段ボール・・・8票

「段ボールをためていたら、ゴキブリが増えた」(34歳/総務・人事・事務)


「通販のメーカーさんによってはとてもおしゃれなパッケージの段ボールで送ってきます。捨てるのがもったいなくて保管していたら、いつの間にか50箱を超えていました。場所を取るし用途は無いことに気付きました」(52歳/その他)


宅配の段ボールで丈夫なものなどは「自分が梱包する機会に使えるかも」と、捨てるのはもったいなく感じられますよね。


ただ、特に通販をよく利用する家庭だと、送られてきた段ボールを保管しておくとキリがありません。スペース的にも衛生上も、段ボールはためこまず処分するほうが得策だといえそうです。


第6位:家電・・・9票

「壊れたTV。捨てるのが億劫でしばらく置いておいた」(64歳/コンピュータ関連以外の技術職)


「電気ポット。お客さまにお茶を出すとき必要かもとしまっていたが、最近は人も呼ばなくなったので、玄関に1年放置。やっぱり使わないねとこの間捨てた」(56歳/その他)


「スマホ。最初のうちはWi-Fi専用サブ機として使ったり、あとは思い出として取って置いたりするけど何年もかけてどんどん溜まっていく」(39歳/総務・人事・事務)


家電に関しては、故障してもう使えないのにためこんでしまった、との声もちらほら。たしかに、単に不燃ごみとして捨ててOKというわけではなく、一定の手続が必要なものもあるのが厄介ですよね。


ただ、そのまま放置しても都合よく消えてくれるなんてことはないので、いつかは重い腰を上げて処分を決行しないければなりません。


第5位:食器・・・10票

「大きなカレー皿。冷めてしまうので今は小どんぶりでカレーを食べているから」(59歳/主婦)


「使ってない食器が邪魔なほどあって、捨てても困らない。食器棚もスッキリする」(63歳/その他)


「お弁当箱。いつか使うと思ったが誰も必要なくなった」(57歳/主婦)


自分で購入したもの以外に、人からもらうこともあって、たまりがちな食器類。中には、未使用どころか箱に入ったまま……なんてアイテムもあるのではないでしょうか。


ただ、予備として保管していても、なかなか出番は訪れないもの。日常的に気に入って使っているもの以外は基本的に処分してしまい、すっきり片付いたキッチンを目指しましょう。


第4位:本、雑誌・・・14票

「本。読まないのにおいておいたら茶色に変色して汚らしくなった」(68歳/その他)


「読まない雑誌。情報は日々新しくなるからいつまでも置いておかずに捨てればよかった」(28歳/総務・人事・事務)


「学生時代の教科書。結局見返すことはなく、ただクローゼットを圧迫していただけだった」(36歳/その他)


思い入れがあって何度も読み返すお気に入りの一冊はさておき、読み終えた本や雑誌はすぐに処分するのが、片付け戦略上はベター。


コメントにもあるとおり情報は日々新しくなりますし、自分をアップデートするためにも、古い書籍や雑誌は潔く廃品回収に出してはいかがでしょうか。


第3位:包装紙、紙袋・・・23票

「包装紙、紙袋。たまりすぎ」(66歳/その他)


「デパートの紙袋。何かに使えるととっていたが何も使わずたまっていく一方だったから」(57歳/総務・人事・事務)


「かわいい紙袋。梱包などに使えると取っておくが、なかなか出番がなくてどんどん増えてしまうから」(42歳/その他)


お買いものをした際にもらえる包装紙や紙袋で、デザインが素敵だったり丈夫だったりするものは、捨てずにキープしておきたくなりますよね。ところが、実際には活用する場面などそうそうなく「たまる一方」とのコメントが相次ぎました。


包装紙や紙袋に限ったことではありませんが、「いつか何かに使えるか」ではなく「今すぐ必要かどうか」を判断基準にすることが、ものを無駄にためこめないコツかもしれません。


第2位:空き箱、空き缶・・・24票

「お菓子等の空き箱。何かの入れ物代わりになると思って置いておくがかさ張るだけで終る」(62歳/主婦)


「クッキーなど入っていた缶。かわいいし小物入れにと思っていたけど、結局使い勝手が悪く使わない」(29歳/学生・フリーター)


「フルーツジャムの瓶。可愛いものがあるので、ついとっておくけど、結局そのままになっている」(55歳/その他)


第3位の“包装紙、紙袋”同様、空き容器に関しても、「捨てずにとっておいても結局は使い道がない」との声が続出。


家の中にものをあふれさせたくなければ、今すぐ必要でない空き容器類は、どんなにかわいいデザインのものでも、淡々と処分するに越したことはありません。


第1位:衣類・・・30票

「サイズが合わなくなり着れなくなった服。いつか痩せたら着られると思いながら、年数だけ経つ。その間に生地も傷むし、流行も変わるから」(46歳/総務・人事・事務)


「洋服。高買ったこともあり、いつか再利用しようと思ってとっておいたが結局、収納がパンパンになるだけで早く捨てれば良かったと思った」(49歳/主婦)


「小さくなった服。いつも断捨離とは言いつつもしかしたらって捨てなかったけど、今年は頑張って着そうにないやつは全部捨てたらスッキリして良かった」(21歳/学生・フリーター)


「着なくなったスキーウェアや厚手のコート。何年も着ていないのに、場所ばかり取っていたので」(67歳/主婦)


過去に実施した“捨ててよかったもの”アンケートでも、大量のコメントが寄せられる“衣類”が今回も首位! 


奮発して購入したものやまだ着られそうな衣類は、捨てるのに躊躇してしまうのは多くの人が共感するところではないでしょうか。


ただ、コメントにもあるように、衣類は保管しておくだけでも生地が劣化することもありますし、流行や体型の変化などで、自分に合わなくなってしまうこともしばしば。


一定期間以上、袖を通していないものは手放して、すっきり片付いたクローゼットに新しいアイテムをお迎えすることをおすすめします。


その他、こんなものも「早く捨てればよかった!」

「履かなくなったブーツ。靴の収納スペースを圧迫する上に、履かないとどんどん劣化してぼろぼろになってしまうから」(34歳/総務・人事・事務)


「引き出しのなかにしまってあった取扱説明書。今はデジタルで見れるので」(37歳/主婦)


「粉々になったファンデーション。再生できるというライフハックを試したところで今まで通り使えなかったから」(28歳/主婦)


「日記。読み返すことはまずない。紙は重いので、引っ越しの時にじゃまになる」(47歳/主婦)


「ケーブル類。二度とつかわない」(34歳/会社経営・役員)


「壊れた傘。捨て方がよく分からないし、面倒で何本か貯めていた。捨てるとスッキリして、さっさと捨てれば良かったと思っている」(44歳/主婦)


「使い古しタオル。ウエスにしたいけどなかなか出番がない」(42歳/主婦)


捨てるのがもったいなかったり、面倒だったりでついためこんでしまっているもの……。みなさんのおうちにも当てはまるものがあるのではないでしょうか?

 


以上、“もっと早く捨てればよかったと思うもの”をご紹介しました。


ものを捨てることの心理的ハードルは低くはありませんが、それを乗り越えて不用品を一斉処分するとスペースも気分もスッキリするはず。みなさんのコメントぜひご参考にしてみてはいかがでしょうか。


中田綾美




参考:




マリー=クレール・カーライル (著), 江原啓之 (監修, 翻訳)『「かわいそうな私」にさようなら! お金はこうして引き寄せる』2013
















宮本 真由美 (著)『斎藤一人 世界一幸せになれる7つの魔法』2015





2024年6月16日日曜日

やはり神様には、感謝のみ、、、プラスあっても決意の表明か

 

私は毎朝、毎夕、神棚などを参拝、仏さまには線香をあげるのを習慣としてしますが、今朝、お参りをしながふと思ったことがあります。


それは、神様にはやはり感謝のみだよな、、という感覚でした。


仮に、自分が何かの師匠で、弟子がいるとします。


その弟子が、いま与えられている教えに感謝もせず、ないがしろにしていながら、早く次の新しい教えをご教授くださいなどと言ってきたら、恐らく


たわけ、100年早いは!

今与えられている教えをないがしろにしておいて、何が新しい教えだ!


と思うのではないか、、。


そして、そんなことを言うお前にいま必要なのは、新しい教えどころか、いま与えられている教えのありがたさを知る体験だ、


とばかりに、今当たり前として与えられているものの大切さを知るための試練が与えられるのではないか、、そんな気がふとしたのです(笑)。


もしかしたら、神様にお願いごとをするというのは、神様の立場からしたらこんな感じじゃないのか、、と。


逆に、今与えられていることに、ありがとうございます、ありがとうございます、生きていることに感謝、生かして頂いていることに感謝、、


と普段から感謝のみをしていると、


おー、おー、そうか、そうか、おぬしわかっておるなー、ではいいものを授けようではないか、、と神様からのプレゼントが贈られるのではないか、、そんな気がします(笑)。


もし、何か新しいことを心の中で企図しているなら、それはお願い事としてではなく、


私はこれこれのことをやってみるつもりでいます、よろしくお願いします


と決意表明にとどめておくべきではないのか、と私は感じました。


お願いごとは依存であり、決意は自立して自分でやりきることの意思の表明です。ここには大きな違いがあると感じます。


私が師匠として、弟子にそのように言われれば、その結果が如何になろうとも、なることが分かっていたとしても、


そうか、そうか、頑張ってやってみるといいんじゃないか、、というような気がします。


ということで、家の神棚をはじめ、神社仏閣などを参拝するときは、基本は感謝のみ、やるとしても決意表明のみか、と思うのであります。


もし下手にお願い事をして、仮にかなうことが過去にあったとするなら、それはそれでとても危ういことだと感じます。


神様とは別の存在との何がしかの取引が成立したという可能性があるので、必ずお礼参りはしておいたほうが良いです。


そして以降は、感謝、或いは決意表明だけに留めておいた方が賢明だと思います。


正神に奇異なし


という言葉があるようです。これは正しいと思います。


正しい神様は、人間界のことにあれやこれや介入して、願い事をかなえてあげたりなどしないし、できないようです。魂が向上するための何がしかのインスピレーションのようなものを与えるだけのような気がします。


色々な願い事を叶えることができるのは、人間界に近い色々な存在のようで、これを神様と混同している場合が多いよう思われます。


けさ思ったこと、神仏には感謝のみ、あっても決意表明で留めておきたい、、でありました。


おしまい


<(_ _)>




2024年6月9日日曜日

幸せになる技術 ~ 部分と全体だよな~、、

 

本日、自転車に乗りながらふと思ったのが、タイトルの、


幸せになるには技術が必要だよな~、部分と全体を見る必要があるよな~、、


というものでした。


どういうことかというと、

私は、幸せ、豊かさというのは、次の四つの柱によって成り立っているのかな~と思います。それは、


健康・お金・時間・環境


です。


健康を支えているのが、睡眠、運動、食事と心の持ちようだと考えています。


睡眠ひとつ、運動ひとつ、食事ひとつとっても、相当な知識と経験が必要ですが、ほとんど学校では教わりませんよね、、。大事なことなのにな~、、。


スピリチュアル的な豊かさ、心の豊かさは、私的にはここの心の持ちように収めています。


日常を送るうえで、どのような心構え、心の持ちようでいるかというのはものすごく大切で、これが心の健康だけでなく、魂の豊かさにもつながっていると考えています。


こんな教えも、ものすごく大切であるにもかかわらず、ほぼ自分で本を読んだり、人に会ったりして教わっていくしかありません。


他、上の階層に戻りまして、幸せ・豊かさを支える健康の他、お金は当然のこと、時間もまた資産です。


お金に関しても、最近はようやく学校で投資について教えるようになったようですが、こんなのも早くから知識を身に着け、やっておくほうが有利ですよね。。


環境というのは、自然環境や社会的な環境、人間関係を含みます。


きれいな水が潤沢に使えるなんていうのは本当に恵まれているし、キレイな空気があるというのも最高の贅沢だし、


社会的な環境としては、ウクライナのように戦争になっていたら幸せとは程遠いし、人間関係もうまくいっていないとストレスの原因になりますよね。。


こうして考えてみると、これらすべてを視野に入れてうまく調和させて初めて幸せというものが成り立つのかなと思うのです。


そう考えると、この幸せを実現するためには、相当な技術、知識と経験が必要になってくるよな、、、というのが、私が自転車に乗りながらふと思ったことです。


幸せに関するもっとも大きな視野というのは、死んだ後に関することかなと思います。


もし死後に魂が続くとするなら、そこで後悔しないように、今をいかに生きるのかが大切になってくるし、人とのかかわり、毎日の心の持ちようなどとも関わってきます。


以上ほぼすべて学校では教わらないし、霊的なことも含めて、こういったことを体系的に教えてくれる人はまずいないので、自分たちで、一つ一つ吸収し、学び、実践していくしかないですよね。


私は当ブログで、幸せなるということをキーワードに書いてきたように思うし、これからもそのような情報を発信していきたいと思っています。


どうして、筋トレや食事、投資に関することがスピリチュアルなことと調和するのかと思う人もいるかもしれませんが、


ビタミンの桶のように、どれか一つが欠けても、そこから水が漏れて幸せの水準が下がってしまうように思います。


単純に、お腹が空いていてひもじい思いをしていても心が満たされていれば幸せ、、なんてことはないということです。


物質的にも豊か、心も豊か、スピリチュアル的にも魂的にも豊かというのが正解だと思います。


絵本作家であり、美しい庭づくりをすることでも有名なターシャ・チューダーさんは、


幸せは、自ら創り出すものだ


という趣旨のことを言っていますが、本当にその通りだと思います。


私もプランターに花を植えたり、ミニトマトを栽培したりしていますが、それらが成長していくさまを見るのはとても心に満足を覚える楽しいもので、


この楽しみを生み出すためには、自分で植物をまずもって植える必要があります。


こういった仕込みというものを自分の人生の中で色々としかけておくと、楽しみが増し増しになるような気がしています、、。


また私たち一人の人間というのも、まさに総合芸術の作品であり、


れをいかに生き生きとした作品として仕上げるかは私たち自身に掛かっているのだと思います。


そして、そのありようを神様がニコニコしながら天から見守ってくれているような気がしています。。


ということで、幸せになるには色々な技術、知識が必要ですが、そういったものを一つ一つ吸収、実践し、


お金だけとか、スピリチュアルなことだけなどに偏らず、部分と全体を見たわしながら、大きな幸せというものをみつけていきたいものだ、、と常々思っている彦兵衛でありました。


自転車に乗りながら、ふと思ったことでありました。


おしまい


<(_ _)>



2024年6月2日日曜日

安全は、2~3重!!

 

先週末は、奈良、京都、滋賀、三重などを駆け足で巡ってきました。


京都では村上隆展、奈良では奈良国立博物館の空海展を見て、その足で近くの若草山に登りました。


その日は奈良の三輪駅の近くの宿に泊まると、そこは座敷童が出ることで有名らしく、ユーチューバーが泊まって部屋に風船などを置いて撮影していましたが、風もないのに風船が一つだけ揺れたり、またオーブが乱舞しているのも見てしまいました。


この宿は、翌日に大神神社のご本体のお山に登るために近いから泊っただけでしたが、思いがけない楽しいハプニングでありました。


で、翌朝は少し小雨が降っていましたが、予定通り朝一で三輪山に登り、電車で移動、いつかは訪れたいと思っていた石清水八幡宮を参拝しました。鎌倉にある鶴岡八幡宮はここの神様を招来したもののようですね。。


で、滋賀に移動し、近江の国の一の宮、建部神社を参拝、レンタカーで亀岡に移動し、丹波の国の一之宮 出雲大神宮を参拝、そのまま亀岡の湯ノ花温泉に宿泊しました。


翌日は、レンタカーで三重に行き、伊賀の国の一の宮 敢国神社を参拝、近くのご神体でもある南宮山に登りました。


滋賀に戻りレンタカーを返却、まだ多少時間があったので、最後に伏見稲荷大社を参拝して今回の旅を終えました。


いつものように、欲張り、イベント盛りだくさんの旅でした。最近は、ヤマップを使うようになってから、行った先に山があったら取り合えず登ってみることにしていて、旅の楽しみが倍増しています。


さて、本日の本題は、安全は2~3重!!というものでした、、。


旅をしていると、常に安全というものにも心を配っています。安全が脅かされたら、旅が中断してしまう可能性がありますからね、、。今回も安全に気を配りつつ、旅をしていました。


では、どんな安全かというと、大したことではないのですが、小さな手間で安全度が高まるなら、その手間を惜しまないようにするという感じです。


たとえば、よく電車の中などでリュックにパスモなどをケースに入れてぷらんぷらんさせている人を見かけますが、切れたら終わりだよね、、と思ってみています。


私は、常に安全は2~3重!と考えているので、もしパスモなどをケースに入れてリュックに引っ掛けておきたいなら、少なくともそれをリュックのポケットに入れるようにしたいものです。


そうすることで仮にひもが切れてもポケットの中に納まっていますし、またポケットに穴が開いてたりしても、ひもが付いているのでぷらんぷらん状態になるだけです。


こんなちょっとした手間を私は大事にしています。


特に、財布や携帯はなくすと被害が大きいので、つねにこれを実践しています。


私は、財布も携帯もともに常にストラップをつけていて、それをリュックやズボンのポケットなどにつけて持ち歩くようにしています。


これだけで安全は2重になります。更に、ポケットのチャックを締めておくなどをするだけで3重となります。


また意識できるように、身に着けるときも肌で常に感じていられるようにしたり、リュックは前で抱えたりなども心掛けています。


買い物などで、財布や携帯は出して使いますが、仮にカウンターに置いたとしても、ストラップがついていますので、そのまま置きっぱなしで移動することはなくなります。


結構、スマホをなくしたりする人ってこういう簡単な手間をかけないで、なくしてから大騒ぎしてる気がします。。


私は、安全に関しては、このように少しの手間で安全度が上がるなら、なるべく2~3重になるように心がけており、


財布に限らず、自転車や車の運転も同じで、似てようなことを心掛けています。


(たとえば車の運転なら、車間をとるようにする、スピードをあまり出さないようにするだけで、何かが咄嗟に起こった時でも間に合う可能性があります)


ということで、少し手間をかけて安全度が上がるなら、2~3重の安全を心掛けたいと思っています。ただ、これもやりすぎると、かえって逆の効果になることもあり、そのバランスが大事です。


私は昔バイクに乗っていたのですが、バイクには本体のカギの他にディスクブレーキにもカギをつけていたのですが、


ある時これを外し忘れて走行してしまったため、バイクを破損させてしまうことがありました。。安全は2重にしとくというのは正しいことでしたが、この手の失敗をしないような方策を施しておく必要がありました。


また、安全が2-3重となってくると、面倒くさくなって結局何もしなくなるということもありうるので、手間がかからないといような安全策というもの大事なポイントです。


ということで、旅も、日常生活も同じですが、常にアクシデントが潜んでいるもので、安全は2~3重にしておきたいものです。


ただし、手間がかからないようにする、また安全を施したつもりで自分で自爆しないうような方策をしっかり施しておくこと、ここら辺も大事ですね。


安全は2~3重!!でした。


<(_ _)>