2024年8月25日日曜日

歴史を学ぶって楽しいなぁ~、、

 

斎藤一人さんのお弟子さんになった方には、いくつかの読むべき本が課されるそうです。


デール・カーネギーさんの名著、




デール カーネギー 『人を動かす』




デール カーネギー 『道は開ける』


はそれぞれ7回!(笑)、


それを読み終えると、それじゃ、次の本は3回でいいからね~、、と優しく言われるそうですが、




司馬 遼太郎 『坂の上の雲 (1)


こちらが全8巻!(笑)


またその後は、




司馬 遼太郎 『菜の花の沖 (1)


これが全6巻ありまして、こちらも3回読むように、とのことだそうです(笑)。


私は、カーネギーさんの本は読んだことがあり、とても為になったのでそれは納得できるし、


坂の上の雲もなんとなく知っているのですが、


菜の花の沖って??


という感じでした。


ということで、いったいどんな内容なんだろう、、と最近読み始めた所なのですが、これがものすごく面白い、為になる、一人さんがなぜ勧めたがよくわかります。


まだ2巻までしか読んでいないのですが、江戸の当時の日本人の習俗、習慣、世界観、考え方がよくわかるし、


何より、商人としての心構えとか心意気をこの本を読んで身に沁みつけておくこと、ということなのだろうと思いました。


いや~、どの時代にも素晴らしいひと、天才的なひとというのはいるものですね、、ただただ感服してしまいます、、。


読み進めていくにつけ、作家というひとは凄いなぁ、、と舌を巻いてしまいます。


相当、資料などを調べて描いているのだろうとは思いますが、その時、その場にいたかのように生き生きと場面を描いているので、その風景がありありと心に思い浮かび、血沸き肉躍る感じです(笑)。


どの時代にも凄い人はいたんだなぁ~、、と感心ひとしきりです。。


私は、大学入試で社会は地理と世界史を取っていたので、日本史に関しては、悲しいことに本当に中学レベルで、


今になって、色々興味をもって本を読んだり、テレビの歴史ものを見たりなどして学んでいます。


何年に何があった、、というのではなく、


その当時の人が、どういう気持ちで何をどのようにしたのか、、という物語がものすごく勉強になります。


これは日本史に限りませんが、、。


最近、NHKの時代劇の再放送で塚原卜伝をやっているのですが、


これが面白すぎて、やっているのに気づいたのがすでに全7回中、5回だったので、NHKオンデマンドで見ています。


生涯無敗の剣聖ということもあり、どんな人生だったのかとても興味の惹かれるところですが、


それだけでなく、ドラマの中で、まず訪ねたことのある鹿島神宮が出てくるし、


剣の修行の旅先で、小田原城にて北条早雲の前で試合をしているし、足利将軍の前でも御前試合をし、


後に武田の軍師となる山本勘助なんかも出てくるわで、ああ、こういう繋がりになっているのか、とても勉強になります。


また最近見た、NHK知恵泉で、天海僧正についてやっていたのですが、


彼が家康と出会ったのが70歳、その後、108歳で亡くなるまで現役で三代家光にまで使えたとのことです。


その中で見いだされたのが沢庵和尚というのも、そんなつながりがあるんだ、、ですね。


また天海は、時の将軍に、長生きの秘訣は粗食だと語ったのだそうで、これまた為になりますね、、。


塚原卜伝も天海についても歴史小説があるのでいずれは読んでみたいと思っています。


司馬遼太郎に関しては、『空海の風景』なんて本もあるし、ぜひ読んでみたいところです。


いや~、歴史って面白いですね、、。


フィクションではなく、実際に生きていた人ですからね、為になりますよね!


これからも興味をもって色々な媒体を通して歴史の勉強をしていきたいと思っています。


<(_ _)>



2024年8月18日日曜日

週に一度、包丁を研ぐ ~ 陰と陽に思いをはせる


私は昔から包丁を研ぐのが結構好きで、定期的によく研いでいました。包丁を研ぐと切れ味がよくなって、料理をしていて気持ちいいものです。


今は、だいたい週に一回、包丁を研ぐようにしているのですが、たまに忙しくて研げないことがあり、久しぶりに研ぐと、その後の一週間、毎日包丁を使うたびに、


おー、切れる、切れる、うひひ、、


といった感じで、気持ちよく食事の用意が出来ます。


ということで、包丁を研ぐことは、私に幸福感を与えてくれるので、週一回、週末に出来るだけ研ぐことを心がけています。


昔は砥石を出して、濡らしてシャコシャコと研いでいましたが、セッティングや後片付けが手間であるため、今は、セラミックの棒のタイプのものを使っています。


これだとさっと出してきてすぐに手軽に研げ、しかもかなりの良い切れ味となります。テレビを見ながらとかもできます。


仕上げがうまくいっているかは、自分の指にあてて、すっと指の皮になじむか試しています(笑)。


また、何かのテレビ番組で、刃物を作る職人さんの映像が流れている中で、仕上げとして紙やすりを使って仕上げている場面があり、


へ~、紙やすりを使うのもありなんだ~、、


と、一時は、刃物に錆がついたりしたときは200番くらいの耐水の紙やすりを使っていましたが、


ある時、ホームセンターに行ったときに、刃物専用の食器洗いのスポンジのような形をした紙やすりがあり、試しに購入してみたのですが、


こちらは立体なのでとても使いやすく、時に刃に錆やくすみが出たときに、現在はこのスポンジ状の紙やすりを使用して仕上げています。


(色々な便利なものが売っているものですね~、、)


これを使うと、刃がピカピカになって、見目麗しく、ウキウキの気分になります(笑)


このように、私は週に一度、刃物を研ぐことを習慣にしています。


人には、1日、2-3日、一週間、1か月、1年というレベルで、周期的にやることというものがあるものですが、


人に与えられている時間をどのように割り振るのかというのは、投資におけるポートフォリオ(資産の分散)と同じだな~、、と感じます。


与えられている時間という資源を、自分が幸せを感じられるようにどのように配分し、何の活動にあてるかというのはまさに投資の考え方だなと思います。


誰でも、与えられている時間を自分たちが幸せになるようにと思って配分し、使っていると思うのですが、


その時の参考になるのが、ものごとにおける陰陽の考え方かと思います。


包丁に関していうと、その陽を普段使いとするなら、陰はそのメンテナンス、刃を研ぐことと言えるかもしれません。


普段使う一方の陽ばかりに偏り、陰のメンテナンスを疎かにしていると、陽の方に影響=切れ味が悪くなります。


このことは道具一般にいえることかもしれません。


前回、登山で足の脱力が大事だということ書きましたが、普段体を使うことを陽とするなら、筋トレはそのメンテナンスにあたり、陰と言えるかもしれないし、


また筋トレを体を動かすことという意味で陽とするなら、その休息は陰であり、陰もしっかりとらないといけないことは歴然です。


覚醒しているときを陽とするなら、陰である睡眠をしっかりとることで陽は保たれるし、覚醒時にしっかり活動することが、深い睡眠へと繋がります。


ということで、たまに、今自分のやっていることが陽なのか陰なのか、その反対に相当するものは何に当たるのか、


その反対に当たるものを疎かにしていないか、に時に思いをはせてみるのは大切なのかなと思います。


ものごとが、なんとなくうまくいかないときは、陽ばかりに意識がいっていて、陰を疎かにしているかもしれませんし、


何かしなければならないことを陰とするなら、陰に追われていて、自分が本当にしたいこと=陽を疎かにしているのかもしれません。


人には誰でも1日24時間、一週間で7日という時間が与えられているようでありながら、実はこの陰と陽のことを考えると、


陽である、何かあることをするとするなら、それとセットになっている陰を自ずと設定しなければならず、かなり自動的に時間の配分というものが決められているのではないかと感じます。


睡眠の学者は、1日は24時間でなく、初めから睡眠分の8時間を引いて1日を考えるべきだということを言っていますが、まさにその通りだと思います。


刃物を使うなら、その陰である研ぐこともちゃんと視野に入れて、


料理人なら1日の終わり、普通の家庭なら1週間に1回位はそのメンテナンスである研ぐことをポートフォリオに入れた方が幸せ感が増すように感じます。


たかが刃物を研ぐという行為ですが、これを生活全般に広げて考えると、ナカナカ深い行為であるなと感じます。


週に一度、包丁を研ぐ  ~ 陰と陽に思いをはせる


でありました。



おしまい



<(_ _)>



2024年8月12日月曜日

自分のカタチを見つける: 登山をしても疲れなくなった、、妙高・火打山登山で気づいたこと

 

先週末は、新潟の百名山、妙高山(2454m)火打山(2462m)に登ってきました。


初日は、燕温泉という所から出発し妙高山に登り、山小屋で一泊、翌日に火打山に登って下山する予定にしていたのですが、


想定していたより山小屋にかなり早くついてしまったので、その日のうちに火打山も登りました。


ということで、初日は6時出発の16時登山終了で約10時間歩いていたのですが、驚いたことに翌日、ほとんどといっていいほど筋肉痛がなかったのです。これには自分でもビックリでした。


色々自分なりに分析してみたところ、要因が二つあるように思いました。


一つは歩き方です。

以前、疲れない登り方として脱力しながら登る方法を紹介しました。


それは、登る際に一歩一歩しっかり脱力しながらゆっくり歩くということです。


私は登り始め常に、ゆっくりゆっくり、小股小股、脱力脱力と自分に言い聞かせながら歩いています。


歩くという動作は、緊張と弛緩の連続です。一般にしっかり登ろうとすると力を入れるのはいいのですが、弛緩の時にあまり力が抜けておらず、そのまま登り続けるので疲れがたまってきてしまうようです。


これを一歩一歩力を入れた後に意識してしっかり脱力しながら登るとびっくりするほど疲れないのです。いつまでも歩ける。


これの応用で、下りも脱力を意識しながら、足をほぐしながら降りる感覚なのですが、これに加えて、


段差がある時に、しっかり足を折りたたんで屈伸してからゆっくり降りるようにすると、足全体がほぐれて、栄養がいきわたり疲労物質が除去されるのか、歩いていて足が楽なのです。


今回は、下りでこの段差がある所で足の屈伸を意識して、しっかり足を折りたたんでから降りるということを繰り返していたのが今までと違う所でした。


これはかなり有効であるような気がします。なぜなら、運動しながら整理体操をしているようなものだからです。


攻防一体の技です!(笑)


もう一つの要因は栄養面です。

私は歩きながらお腹が空くと、アーモンドチョコとキャンディーチーズという、糖分とタンパク質を同時に摂るように心がけてきたのですが、


これに熱中症予防を謳ったクエン酸と塩分の混じったラムネみたいなものを一緒に食べるようにしたのです。


補給のタイミングとしては、30-45分くらいで体が欲した時に摂るようにしているのですが、随時必要な栄養素を補ったことで疲労が蓄積されなかったのかもしれません、、。


私はリュックの腰ベルトのポケットにビニールに入れたこれらの行動食を入れておいて、歩きながらすぐに食べれるようにしています。


そのため、ほとんど途中でリュックを投げ出して、あー疲れたー、といった感じで休むことがなく、


止まる時というのは写真を撮るときと、水分を補給するときくらいで、後は、うまずたゆまず進んでいるので、トータルでかなり早くなるということのなかもしれません。


以上の2点は、登山当日におけるいつもと違う点でしたが、そういえば、工夫した点がもう一つありました。これは登山にいたるまでの毎日のトレーニングに関することです。


それは、いつも登山から戻ると、翌日は足が筋肉痛で張っていたのですが、どの動作を取った時にもっとも筋肉痛を感じるのかをよく観察して、


要は、その筋肉痛が痛いと感じる姿勢というのは、登山でもっとも使った筋肉であり、その筋肉痛で痛いと感じる姿勢を維持することは、登山で必要な筋肉が最も鍛えられるはずだと思い、


毎日、朝昼夕と、心地よい程度、20~30秒ほどその姿勢を維持することを続けてきました。


その姿勢というのは、完全にしゃがんだ姿勢から立ち上がる途中の膝の裏の角度が30度ほどの中腰、かつ爪先先立ちの姿勢です。


これを続けてきたからなのか、登山に必要な筋肉が鍛えられたのかもしれません。


私は足を鍛えるといってスクワットするのは反対です。スクワットをすると膝関節をすりこぎをするように何度もごりごりやる感覚があり、関節にとって極めて悪い感覚があるからです。


それよりは、中腰で静止したポーズを心地よい程度に維持する方が良いようです。


ついでにいうと、以前に、最高の腰痛対策としての腹筋、背筋の方法を載せましたが、その背筋の際に、足を一回勢いよく折りたたむ(かかとをお尻にパンとたたきつける)動作をしてから二呼吸休むようにすると、


腰の関節だけでなく、足の関節にも栄養がいきわたるようで、以前あったような膝痛が今はもう完全になくなりました。


私はこうした経験を通じて、ちゃんと理に適った運動の重要性を感じました。


一般に良いといわれているものを参考にしながらも、違和感を感じたら、自分なりに疑問を持ち続け、観察し、工夫し、試していくうちに、自分にあった正しい答えというのが出てくるように感じます。


これは、人に評価されること、自分を人の型に合わせようとするという方向ではなく、


自分の体と対話しながら、自分の主観を大事にしながら、自分のカタチを見つけていくという作業です。


登山をしながら思うのは、勉強でも仕事でも、このように自分のリズム、カタチを見つけて応用出来たら、最高のパフォーマンスを発揮できるのにな~、、ということです。


仕事でもずっと座りっぱなしでなく、緩急をつけて、パソコンを見続けていたら、10秒ほど目を閉じてみたり、トイレに行くときには階の違うトイレに一段飛ばしで行ってみたり、


じっと座り続けていたなら体を動かす仕事にシフトしたりと、色々と工夫のしようがあるはずです。


そういった微差が続けていくと大きな差になっていくんだろうな、、という気がします。


芸術家の岡本太郎氏は、絵を描いていて飽きたら彫像をやり、それに飽きたら執筆をする、と自分の主観に基づいて、やりたいことをどんどんこなしていっていたようです。


私たちも、日常生活の中で違和感を感じることがあったら、常に疑問を持ち続け、いろいろと工夫し、試してみて、よりよい自分のカタチ見つけていけていけたら最高だと思います。


自分のカタチを見つける:登山をしても疲れなくなった、、話でありました。


おしまい


<(_ _)>



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