先日、北アルプス白馬岳に登ったことを少し書きました。
登山の日は前日入りして麓に宿泊し、翌日早朝から登る予定にしていたのですが、
着いた時は雷雨で、山には分厚い積乱雲が掛かり雷がゴンゴンなっていて、翌日の午後も雷の予報が出ていました。。
どうしたものだろう、、と思案したところ、そういえば斎藤一人さんが弟子に雲の消し方を教えていたな~、、とふと思い出しました(笑)
何かの番組でも、雲を消すという人が出てきて、雲を見事に消すパフォーマンスをしていた映像が頭の中に浮かびました。
そうか、もしかしたら人って雲を消すぐらいの能力をもっているのかも、、と思い、
どうせ同じ境遇なら、いいイメージをもって山に登ろうと思いました。
ロープウェイに乗ると、登る予定の山が遠くに見え、山頂にはアヤシゲな雲が掛かっていました。
私はさっそく行く先々の山々の峰の上に大きな手を想像し、その手で雲をやさしく払うイメージをしました。
また「アマテラス オオミカミ」と唱えながら、行く先々の峰々に優しい太陽の光がさんさんと降り注ぐイメージを思い浮かべました。
この大きな手で雲を払い、アマテラスオオミカミと唱えながら光が降り注ぐイメージを登りながらイメージしていました。
すると、その甲斐があったのか、なかったのか、登る先々で好天に恵まれ、とても気持ち良い登山を楽しむことができました。
もしかしたら、晴れ男とか雨男とかいう表現がありますが、案外これは何か真理の一端を表しているのかもしれない、、と思いました。
以前夢中になって読んでいた河合隼雄の本の中に、あるクライエントがいて、
彼は、非常に不安が強く、火事にならないか、泥棒に入られないか、と常に不安でいっぱいなのですが、
彼が思っていた通りに、家が火事になったり、泥棒に入られたりしてしまうのです。
河合さんは、彼は心の力が強い人なのかもしれない、ということをいっていたように思うのですが、
人間には想像したものを引き寄せる力というものをもっているように思います。
斎藤一人さんは、悪いことが思い浮かかんできてしまう時は、
運がいい、ラッキー、ツイテル、ツイテル
などとプラスの言葉で打ち消してしまうのが良いと仰っています。ただ浮かんでくるものに心を左右されてしまうというのはもったいないことです。
そういえば、イメージの力を利用する方法として、たとえば駐車場に車を停める際でも、
行く前に駐車場に空きがあってスムーズに車を停められるイメージをすると、不思議と駐車場に行くと空きのスペースがあるということが何かの本に書いてあったのを思い出します。
このことをはっきり言っているのが、マーフィー博士で、望むことを映画のように映像で生き生き思い浮かべるとそれは実現するというようなことを述べています。
また逆に、心にはこのような作用があるので、望ましくないことを潜在意識に入れないようにすることの大切さを述べていました。
たとえば、性的な空想は誰でもするものですが、暴力的なものは避けるようにということをはっきりと述べています。
晴れ男、雨男、というものがあるかどうかわかりませんが、ものごとがうまく運ぶひととそうでない人というのがいて、
その違いはいいヴィジョンをもって臨んでいるかどうかの違いなのかもしれません。
天気のようなものでさえイメージによっていいものに変えられるとしたら、人生全般に関してこれを応用しない手はありませんよね。
マーフィーさんは、このことを手を変え品を変え、何度も強調して述べています。
どうせ同じ境遇に向かうなら、ゲームのつもりで、望ましいいいヴィジョンをもって臨んでみるのも楽しいかもしれませんね。
望ましいことが起きるヴィジョンを生き生きと思い浮かべ、
完了形で「~になりました、ありがとうございます」というと更にいいようです。
いいヴィジョンをもって、、
でありました。
おしまい
<(_ _)>
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