2025年8月11日月曜日

遊園地を遊び尽くす!

 

彦兵衛さん、遊園地に行ってきたわけではなく、


これは私がいつも一日の始めに自分に言い聞かせている言葉の一つです。


今日も一日、遊園地で遊び尽くすぞー!


せっかく地球という遊園地に体をもって来こさせて頂いているので、今日という一日、しっかり遊びつくそう!


と自分に言い聞かせています。そして、


今日は何して遊ぼうかな~、、♪


と言ったりします。


子どものときは、こんな思いをもって一日をわくわくしながら過ごしていたのではないでしょうか。


しかし成長するに連れて、やらなければならないことが多くなり、


今日は何をしなきゃならなかったっけ、、


と、目を釣り上げて考えていることが多くなってしまっているのではないかと思います。


しかし、一日、仕事のある人でも、


今日も一日、遊園地で遊び尽くすぞー!

さーて、何して遊ぼうかな、、


と自分に言い聞かせてみるだけで、なんとなく気分がほんわかして、余裕がうまれ、楽しくなってくる気がします。


ついでに、


今日もいいことたくさんあるぞー ♪


と何度かつぶやくと、さらにウキウキしてきます。


私は毎日、朝の準備をしながらとか、こんな言葉を自分に対してつぶやいています。


結局、自分の心をコントロールできるのは自分自身であり、それを成り立たせているのは、言葉と脳という道具です。


これらを最適に、有効に使うことが楽しく幸せに生きるための必須条件だと感じます。


そしてこのような言葉掛けは、当然、自分の体にも影響するし、自分の出している雰囲気が良くなるので、周りにもいい影響をもたらしている気がします。


言葉って本当に大事です。


たとえば、今さっき食べた食事の中にゴキブリが入っていた、、と言われたら、何も入っていなかったとしても吐きたい気分になるでしょう。


これだけ言葉と脳の働きというのは、体と心に大きな力をもっているのです。


ゴキブリは極端な例ですが、普段の生活の中で、ゴキブリに相当する言葉を自分に投げかけていないか注意する必要があります。


もしゴキブリに相当するネガティヴな言葉をいつも知らずに自分に言い聞かせているとしたら、


それを自分の気分が高揚する言葉に置き換えてしまい、それを習慣にしてしまえばいいだけです。


ホント、こんなタダで最高に効力のある道具を使わないなんて勿体無いことです。


また、遊園地でしっかり遊び尽くすためには、お金と時間と体力がないとできません。


お金はたっぷりある、、

時間は無限にある、、

輝くばかりの健康を手にしています、、


実際にそうじゃなくとも、こういう言葉を自分に言い聞かせていることで、そちらの方の状態に向かうようです。


自分に効く有効な言葉をストックしておいて、毎日、自分自身を高揚させてあげたいと私は常々思っています。


興味のある方は、ぜひやってみてくださいね  ♪



さーて、今日も一日、遊園地で遊びつくそー  っと!


( ´∀`)b  グッ ♪



おまけ、、

ギャラリー:百名山 笠ヶ岳に登ってきましたー ♪ 《その弐》




わさび平山荘↑




翌朝、5時半という遅めの朝食を頂き、6時前に出発!














絶好の天気の中、軽快に歩いていきました。



所々、雪渓が見えます。








↑ヤマユリが咲いていましたー  ♪




2時間半ほど歩いて、鏡ヶ池にとうちゃーく!






向こうの尖っているのが、槍ヶ岳ぇ~ !

このルートは、ホント絶景でありました ♪


鏡ヶ池を過ぎ、、













↑鏡平山荘の前を通り過ぎ、、






















鏡ヶ池から1時間ほどで、折り返し地点となる弓折岳に到着しました♪


つづく、、









2025年8月3日日曜日

夏バテってなんだ、、?

 

世の中には“夏バテ”というものがあるようですが、私は今まで“夏バテ”というものになったことがありません。


夏バテというのは、夏の暑さによって、だるくなって、やる気がなくなり、なんとなくグッタリしてしまうもののようですが、


私は夏の暑さでやられる、ということが今までにありませんでした。


しかし先日、なんとなく食欲がなくなり、だるさを感じる日が続きました。


ん、なんだ、ナンダ?


と思って、自分なりに分析してみましたのですが、夏は基礎代謝が落ちているのではないか


そのため冬と比べて食事の量を減らす必要があるのではないか、、と予想してみました。


ネットで調べてみると、やはり夏の基礎代謝というものは減少しているようです。


それもそのはず、冬は気温が低いので、常に体を温める必要があり、そのために何をしていなくても体内の燃料を燃やし続けており、その結果、基礎代謝が大きくなっているのですが、


夏は冬のように常に体温を上げる必要がないので、その分エネルギーが必要なくなるようです。


特に、昨今の夏は体温に近いほどの暑さであり、体の中はむしろなるべく何もしないようにしているので、必要なエネルギー量が減っています。


それにも関わらず、季節に関係なく、いつもの調子で食事をしていると、カロリーの摂取過剰となり、


消化しきれなくなって気持ち悪くなる、体の調子がなんとなく悪くなる、ということになるのではないか、それが夏バテというものの一因なのではないか、、と私は感じました。


そこで体の感覚を信じて、摂取する食事の量を少なめにし、腹八分の感覚を大事にして過ごしてみたところ、調子がよくなってきました。


また、なんとなく、エネルギーが滞っている感覚があったこともあり、敢えてだるいと感じる時に筋トレをしてみたのですが、これも功を奏したのか、食欲が出てきて、体をいい方向にもっていくことができました。


ああ、夏バテってこういうものなのかな、と感じた数日でした。


元気を取り戻してみると、普段の当たり前にお腹が空いて、美味しく食事ができとることの有り難さ、


体に痛いところ、違和感、不快感がなく、体が“空だ”の状態で透明で軽くて動きやすいことのなんと有り難いことか、、と改めて思いました。


このところ異常な暑さが続き、世の中的には、熱中症にならないように、、となるべく涼しいところでじっとしているのがいいような風潮がありますが、


私の感覚からすると、暑いときにこそむしろ意識して体を動かしたほうが調子がいいというのがあります。


以前から、暑い時にでも、チャリで遠出したり、暑い部屋の中で筋トレしたりしていたほうが、じっとして過ごしているより断然に調子がいいという経験則があり、そのように行動してきました。


確かに、熱中症や日焼けにならないような対策は必要ですが、必要以上に暑さを恐れ、体を動かさないでいる方がずっと健康に良くないという気がしています。


体は、何十万年、何百万年の歴史の中で、体を適度に動かしていることで健康を保つように機能が進化してきているように感じます。


従って、このような便利な世の中になっても、なっているからこそ、意識してこまめに体を動かしていた方が、健康を保てるように感じます。


病院に入院しても、いつもまでベットで寝ているのではなく、今は、なるべく早い段階で、歩くことを促されるようです。


私も基本は歩行にあるように感じています。なので毎日の歩行を中心に、少し心拍数を上げるような運動(ジョギングや自転車)、また適度な筋トレとストレッチなどを組み合わせて週単位で運動を組み立てるのがいいと思います。


結論として、暑い夏には、まずはエネルギーの摂取量を少なめにしてみる、腹八分を心がける、また敢えて運動をする、というのを取り入れてみることを彦兵衛はオススメしたいと思います。


暑さでぐったりしている方は、ぜひやってみてください!


タイトル:夏バテってなんだ、、?


でありました。


<(_ _)>



おまけ、、

ギャラリー:百名山 笠ヶ岳に登ってきましたー♪




八王子から特急あずさに乗って、




松本にて下車♪

松本バスターミナルから、
予約していた高山行きの高速バスに乗り、




平湯温泉下車。
そこから新穂高温泉行きのバスに乗り換え、

終点の新穂高ロープウェイで降りました。


本日の宿は、ここから1時間歩いた山荘なのですが、

な、なんと、バスを降りて少し歩いていくと、、





前方からドス黒い雲が強烈な風とともに迫ってきて、
瞬く間に大雨、そして雷がなりだしたのです、、。





いきなりの完全なレイン装備となって、
雷雨の中、とぼとぼと歩き、 歩き、、




ぶじ山荘に到着したのであります♪






こちらの山荘、お風呂もあり
濡れたからだを温めることができました↑




乾燥室もあり、
雨具をすべて完璧に乾かすことができました。
ありがたい、ありがたい。






こちらの山荘、比較的新しく建てられたもののようで、

木を基調した作りで香りが良く、





清潔感がありとても気持ちよかったです。




部屋も、料金をプラスして、一応、
個室なるものを頂くことができました↓




料金もそれなりですが、、↓




こちらの山荘は、車が入れることもあって



食事も豪華で嬉しかったです↑

普通、山の上の山荘だと、ヘリコプターによる輸送で、
食材などはかなり限られてしまいます。。


この日はぐっすり眠り、明日以降の登山に備えました、、


(。-ω-)zzz. . . 


つづく、、



2025年7月27日日曜日

心のビタミン、、!?

 

先週末に、久しぶりに百名山登山に行ってまいりました。登った山は、笠ヶ岳(2898m)という山です。


当ブログの最後の‘おまけで、画像などをご紹介していけたらと思っています。

(先行してちょっちだけご紹介↓)





↑笠ヶ岳 山頂

(実は下に虹が掛かっているのです、、)



↑向こうに見えている尖った山が、
かの有名な槍ヶ岳ぇ~♪

(3180m、日本で5場面目に高い山!)



久しぶりに登山に行って、旅行というのは頭と体を使うなぁ~と感じました。


まずは旅行の計画というものが結構たいへんですよね。


ルートを考え、宿や乗り物を予約するのってかなりの段取り力が要求されます。


そして、それに合わせて行動する力(気力・体力)が必要で、総合格闘技みたいなものです。


数日生活できるだけの荷物をリュックにつめて背負って移動なんていうのは、一人引っ越しみたいなものだなぁ~、、と歩きながら時に考えたりしていました(笑)。


今回の旅のお供に、以前から当ブログで紹介している、『菜の花の沖(六)(最終巻)を携えていきました。


宿や電車の中などで結構読み進めることができたのですが、その中の描写で、主人公の嘉兵衛(かへえ)が、ロシアに5人の従者とともに拿捕されるというシーンがありました。


彼らはロシアに連れて行かれるのですが、彼の地で、従者のうちの3人が次々と亡くなっていくのです。


その原因が、もっていった白飯をずっと食べていたことによる脚気だそうです。


ロシアでも医者に診てもらったそうですが全く治らず、3人は亡くなってしまうのです。


白米を食べることによる脚気は、玄米を食べていた地方では起こらず、白米を食べていた江戸に来ると人が脚気になり、地方に戻るとまた治ることから、江戸病などと呼ばれていたそうで、


病気の原因が栄養不足からくるものだという知識のある我々からすると、こんな単純なこと一つで知識不足から病になり、亡くなってしまうというのはなんとも残念なことだと感じます。


しかし翻って、栄養の知識が十分にある現代において、確かに体を維持するのに必要な栄養素が何かということは知っていますが、


現代はむしろ栄養過多によって、食事自体が体の毒になっているという状況にあるのかもしれない、と私は思います。


あと、もう一つは、未来の人が現代の人たちの医学の知識に対して、


ちょうど私達が江戸時代の人たちを見るような視点で、こんな単純なことに気づかないで生活しているなんて、残念だなぁ~、、と思うかもしれません。


それは心のビタミンとでも呼ぶべき考え方だと思います。


必須栄養素であるビタミンが欠乏すると、脚気などの様々な病を引き起こしますが、それと同じで、心にもビタミンが足りないと当然、病になりますよ、という視点です。


一般的に、ネガティヴなストレスの状態が長く続くと、人は病気になるという認識はあるかと思います。


心にストレスが過多になった状態によって、胃に穴が空いたり、髪の毛が抜けたり、様々な症状が出てきます。


これらは、心にネガティヴな思いが募って起こるものですが、心の状態をポジティヴにしてしまえばいいことです。


ではその心の状態をポジティヴにするもの、いうなら心のビタミンとはなんぞやというと、それは恐らく斎藤一人さんの説くところの天国言葉だろうと私は思います。


まずは、逆の地獄言葉とはなんぞやというと、


不平不満、グチ・泣き言、悪口・文句、心配ごと、ついてない、 許せない、、


などなどです。


この地獄言葉地獄思いと置き換えてみると、ネガティヴな心の状態そのものということになります。


心はコロコロ変わるからこころと言われるという説がありますが、


心の状態が、地獄思いに傾きそうになった時に、まさにそういうときにこそ、一人さんの説く天国ことばを口にすることによって、心をポジティヴな方向にもっていってしまうのです。


天国言葉

ありがとう、感謝してます、愛してます、許します、

嬉しい、楽しい、しあわせ、ついてる


これらの言葉によって生み出される天国思いに心を変えてしまえば、心がポジティヴになり、いつまでも心がネガティヴな状態に留まらなくなります。これらは、まさに心のビタミンと言えると思います。


別に一人さんの説く天国言葉でなくとも、自分にぴったりくる天国ことばを口にすることで、心が地獄思いに傾きそうになったときに、天国思いの方に切り替えてしまうのです。


そういう自分にあった天国言葉をたくさんストックしておくととても心強いです。私は常々その威力を実感しています。


心は見えないため、科学の対象にはなりにくく、必須栄養素のように、目の前に、これとこれとこれを摂取しましょうなどとは言えません。


ですが、人間は体と心からできていて、それぞれの状態が人間の健康状態を規定していることを考えると、


心のビタミンを普段からしっかりとっておくこと、心のビタミンを日頃から摂る訓練しておくことは、健康にとって極めて大事なのではないか、、と私は「菜の花の沖」の該当部分を読んで考えたりしていました。


一人さんは、自分の機嫌は自分で取ること心の舵は自分で操作できるということ、


それはすなわち、運勢というものも、実は我々自身に委ねられており、我々自身が決めているということを述べています。


せっかく1度きりのこの人生なのだから、体のビタミンだけでなく、心のビタミンもしっかり摂って、健康で生き生き、楽しく生活していきたいな~と思います。


タイトル:心のビタミン、、!?


でありました。


おしまい


<(_ _)>




2025年7月21日月曜日

木と水と、、

 

  いい神社だなぁ~、、と感じる神社には特徴があるように思います。


一つは、木が生えていること。

特に御神木のような齢を重ねたぶっとい樹があると、もうその周辺がただならぬ神気にみたされています。


また本殿の裏手に鎮守の杜があったり、山があって、それ自体が御神体であったりする場合も安らかな、あるいは厳かな空気が境内全体を包んでいたりします。


もう一つは、水かと思います。

水が湧いていたり、境内の中や近くを清らかな川が流れていたり、また池があったりする場合もあるかとおもいますが、


とにかく流れのある水があることで、その場が清められ、浄化されているような感じがします。


だいたい伊勢神宮をはじめ、ただならぬ神気が漂っていて、ひたすら素晴らしいな、、と感嘆してしまう神社には、少なくとも、このふたつの特徴があるように思います。


なぜこのようなことを書くのかというと、自分の部屋に、神棚を祀っており、榊(さかき)を瓶に挿して両脇に生けているのですが、夏だと榊が水を吸って、水が少なくなってきたり、また水が悪くなってきたりするのです。


だいたい今の時期だと1周間に2回は、榊の水は交換して、満水にするのがいいのかと感じていますが、


これを特に一日のはじめに、榊を新しいものにしたり、水を変えて減っていた水を満水にしたりすると、その日一日が、とても心の状態も含め、非常にスムースに流れていく感覚があるのです。


もしかしたら、これは単なる気のせいで、たとえば、部屋が散らかっているのを片付けてスッキリすると心も整理整頓されたような気持ちになり、


散らかっていることに心が煩わされることがなくなる、というのとも通じているのかもしれませんが、どうも神棚の榊と水にはそれ以上の何かがあるような気がしています。


それは、木には神気を寄せる依代(よりしろ)の役割があり、水は浄化と関わっているのではないかと感じる点です。


榊がアンテナのように、神気の依代の役割があるため、それが枯れていたり、少なかったりすると、心が落ち着かなくなるのではないかという気がしています。浄化を司る水に関しても同様です。


榊を新しいものに変えたり、水を取り替えたりするのは、一日のやることの優先順位としてはあとでもいいような気がしますが、


どうもこれを最初にやっておくことで、全体がスムースに動いていく感覚があるのです。


すべては神様のあらわれであると考えると、神様は土台中の土台であり、ここをしっかりメンテナンスすることで、心も含めた全体が支えられるという感じがあります。


神棚を置くことにの効用というものがあると思いますが、神棚の掃除を怠ったり、疎かに扱ったりしていると、逆に心身両面によくないので、むしろ置かないほうがいいのだろうなと私はこのところつよく感じます。


神棚を置くなら、しっかり管理して、定期的に掃除をし、清潔に美しく、清らかに保つべきで、そうしてこそ初めて神棚を置くことの効果が得られるような気がしています。


それと関係しているのか、スピリチュアルカウンセラーの江原さんが、海は浄化に関わっており、山には癒やしの効果があるということを述べていたように思いますが、これらとも共通するのかもしれません。


神棚から少し視野を広げて、家にある植物や水の流れというのも、運気と関係しているのかもしれません。


植物を育てているなら、緑が美しい状態を保ち、水回りはきれいにしておくというのが、精神衛生面から運気の点からもいいように思います。


ということで、神棚の榊が枯れてきたり、水が減ってきたら、優先順位の上位において、なるべく早めに交換するといいようですよ、ということが今回書きたかったことです。


神棚を祀られている方はぜひ参考にしてみてください。


タイトル:木と水と、、


でありました。


<(_ _)>



おまけ、、、


今年最後のユリです↓








↑斑入り、神がかりピンクカサブランカ

も一輪だけ咲きました。

今年もユリがたくさん咲きましたが、種類が減ってきたので、

また色々な種類を植えようかな、、と思っています。



おまけ2、、


今はユリは終わり、ミニトマトの収穫時期、真っ只中です↓












最近は、毎食、カラフルなミニトマトを頂けています。
朝取りの超フレッシュミニトマトです♪(笑)


今年は、赤玉2種、黄、オレンジ、黄色アイコの5種ですが、
赤のアイコも入れればよかったなと思います。

来年は、6種にして、バリエーションを楽しもうと思います。


トマトを育てて思うのは、成長戦略に長けているなぁ~という点です。

普通、ミニトマトは脇芽は摘んで、1本か2本だけを伸ばして育てるようで、

枝をたくさん伸ばしすぎて、そちらに栄養がいかないようにするもののようですが、

私もはじめは1本だけ残すというつもりでやっていても、知らないうちに、下の方からとか脇芽がいつの間にか成長してきていて、かなり伸びてから気づくということがあります。

私の中ではルールがあって、脇芽は基本摘むのですが、気づかずに伸びてきて花をつけられたらコチラの負けで、それは摘まないということにしています(笑)

今年は5本の苗で育てていますが、間隔が狭いこともあって、けっこう死角から脇芽を伸ばしてくるケースがかなりあって、

結局、最後は脇芽が伸び放題、ジャングルのようになって、そこに実がバンバンなっていく、、という野生の状態になって枯れて終わります。。

今年もジャングルになってきていて、最後、どんなふうに実がなるのか楽しみです。

予定調和より、意外な育ち方をしてくれた方が、見ている方は楽しいですが、、。

また写真をとる機会があったらアップします。


おしまい

<(_ _)>




2025年7月13日日曜日

神様からのキラーパス!?

 

7/5の大津波の予言に関しては当ブログでも取り上げましたが、来なくてよかったな、、と心から思います。


私は一応、前日までに自分の住んでいる場所の標高と、付近の一番高い所が何メートルあるのかを確認しておきました。


時に防災の視点で回りを見直すことって大事ですね。


また生きていること、生かされていることの有難さにも気づかせて頂けます。


7/5の大津波の予言に関しては、斎藤一人さんも発言していたようで、


7/5に大津波は来ません、おしまい


と一言、心強いお言葉をどこかで発信しているとの情報を聞き、私は大いに安心していました。


というのも、一人さんは、お弟子さんの顔をじ~っとみて、


~ちゃんは、どこどこの保険に入っているでしょ、そこの保険会社つぶれるから、今のうちに解約しておいた方がいいよ、、


と言っていたことがあったようです。


世間的には、あるいはそこの社員さんでさえ知らないような倒産の情報を前もって言って実際に本当に当ててしまうとか、


バブルがはじけて土地が下がるとか、結構大きい所を前もって周囲に伝えているので、一人さんの今回の発言はとても心強かったです。


私たちは、生まれてくる前に、おおよそこの人生で体験することを設定してくるようです。


なので、心の奥底では、この人生でどのようなイベントがあるのかを知っているようですし、それによって自分の魂をこのように成長させようと思ってこの世界にきているようです。


ただ、一人さんの最近読んだ本の中に、そのように大筋は設定してきているけど、


途中で変更したいと思ったら、いくらでも生き方を自由に変更していいんだよ、、


という記述があり、へー、そんなものか、、と思いました。


自分がその箇所を読んで、自身、結構運命論者だったことを認識しました。


かなりの部分で自分の人生は決まっているでは、、と。


しかし、生きてきて、ちょっと変更したいな、、と思ったら変更していいし、出来るんだな、、と。


考えてみたら、画家にしろ、作家にしろ、こういうものを描きたいとある程度の大きなイメージをもって作品をつくり始めると思うのですが、


作っていくうちに、 ここはもっとこういう風にしよう、とか、


作家だったら、キャラクターが個性をもって、勝手に動き出した、、ということがあるようで、途中の変更というものも、当然あるんだろうなと思います。


画家や作家が、その世界における創造主=神さまであるように、


私たちも人生という作品を創造している小さな神様であり


途中でこういう風にしたいと思ったら、自由にどんどん変更していっていいし、出来る訳ですよね。


この世界は、神様という大きな創造主とともに、我々小さな神様が共同でいまこの瞬間も世界を創り上げているのであって、


今回の津波の予言のように、何月何日きっかりにこのイベントが起こる、ということは恐らくなく、


また我々一人ひとりの思い、言動というものも、気づかないだけで、大きくこの世界の創造に関わっているのだろうと思います。


そういう意味では、実は一人ひとりが思っている以上に大きな責任を負っているのかもしれないと思うのです。。



ところで、これからが本題なのですが、先日、職場でこのようなことがありました。


他セクションの割と普段から冗談を言い合う人が用事で来ていて、雑談の中で、相手が


ウチは~神社で、、


と言っていたので、すかさず、


へー、~さんのおウチは神社なんですね~、、


と言ったのです。すると、その人は、


そうやって、すぐ人の上げ足を取る~、、


と、ご機嫌斜めになってしまったのです(笑)


その人は、ウチ(がよく参拝する)神社は、という意味で言っているのはもちろん分かった上で敢えて言ったのです。最高のフリを差し上げるつもりで、、。


私だったら、


そうなんだよ、ウチ神社だから、さい賽銭箱があってね、みんな通りかかる人がちゃりーん、ちゃりーんと、お金入れてくれるんだよーー、、って、んなワケあるかい!

ふつーの家だよ、でっかい鈴とかないから!

とノリ突っ込みするんですけどね、、、。


あー、なんてもったいない、というか、チコちゃんみたいに、あーつまんねーやつだなー、、と内心思ってしまいました。


考えてみたら、ユーモアで返せるかにはいくつかの条件があるのだなと思いました。


一つが、心の構えです。いつ何が来ても、楽しく返せるようにしようという心の準備が必要です。


また、心に余裕がないと出来ないかなと思います。

心に余裕がないと、言われたことをユーモアにして返せないかなと思います。


また三つ目として、機知に富んでないとできないかなと思います。頭の回転が速く、発想をすぐに切り替えられる頭の良さもないとできないのかもしれないな、、と思いました。


その方は、いつもは冗談を言い合う仲なのですが、その時は、余裕がなかったのかもしれません。


そして、言われたことに真正面からぶつかって、不機嫌になってしまったのかな、、と推測しています。


その方が去った後、ウチのセクションの中で、


事故っちゃったね、、( *´艸`) うぷぷっ


みたいな感じになりました。


ウチのセクションでは、私をはじめ、こういったノリ突っ込みみたいなことを普段からしているので、


みんな心の準備をしているし、返しがうまいので、一日に何度も、ガッハッハ、、という笑いが起きています。


それが普通だというノリで今回のようなフリを出したのですが、


他セクションの人は、心の余裕がなかったのか、心の準備が出来ていなかったか、とっさにそのような受けがとれなかったようです。


考えてみたら、神様も色々な形で、我々にこのようなプレゼント、時にキラーパスのような最高のプレゼントを与えてくれているのかもしれません。


一人さんが言うように、神様は、幸せなことそのものを与えるのではなく、私たちがひと工夫して幸せになるような材料を提供してくれているのだと言います。


レモンが来たら、そのまま飲むのではなく、はちみつを加えてレモネードにしちゃいな♪


というやつです。


私たちはレモンをそのまま飲んだり、なっている青梅をそのまま食べて、


なんだこれゃ!なんで私にこんなことが!


と不平不満を言って、天をうらんでいるのかもしれませんが、本当は、神様は絶好のキラーパスのつもりでこれらのことを私たちに与えてくれているのかもしれません。


真正面からぶつかって、不平を言っている我々を見て、神様は、


あーつまんねーやつだな、、


とこぼしているかもしれません(笑)


一人さんは、どんな大変だと思うことが来ても、まずは、


あ~楽しいことになってきた、幸せだな~♪


と言ってみるといいます。

こういってみることで楽しく解決する方法が思い浮かんでくるそうです。私も実際やってみるとその通りだと感じています。


神様からキラーパスが来たら、ちゃんとひと工夫を加えて、自分も楽しく、まわりも楽しく、それを見ていた神様も喜ぶような返しをしたいなと私は思い、常々心の準備をしています。


こう考えていたら、どんなことが起きても平気だし、一人さんがいうように、


波乱万丈どんと来い!


という気分になりますね。



タイトル:神様からのキラーパス!?


でありました。


(^_-)b