すべてのものに感謝をもって、毎日を心満ち足りて、楽しく明るく過ごしたいものです。
しかし、世の中を生きていく中では、嫌なことをしてくる人もいるわけで、
そういう人にされた嫌なことをしょっちゅう思い出しては、また不快な気持ちになってしまうということがあろうかと思います。
そういう人たちに対しては、出来るだけ関わらないようにする、というのが理想ですが、
どうしても毎日接しなければならない、或いは、とうに離れた人であるが、どうしても思い出してしまう、、という場合もあろうかと思います。
私は常に幸せな気持ちでいたい主義なので、このようなことによって、不快な気持ちになってしまうのはなんとももったいないと思っています。
ではどうするのか?
その一つの方法として、以前読んだシャーリー・マクレーンさんの本に書いてあったやり方が有効かと思います。
シャーリー・マクレーンさんは、アメリカの女優さんですが、肖像権か何かの問題で、相手が完全にあり得ないと思うようなことをしていたので、これは法廷で徹底的に戦うと決意したのだそうです。
しかし、ふと、相手は自分のカルマを犠牲にしてまで、嫌なことを教えてくれているんだ、、
と思った時、感謝の気持ちが芽生え、涙が出てきて、許してあげようと思ったのだそうです。
すると、相手の行動も変わった、、というような記述がありました。
もう何十年も前に読んだので、詳細はだいぶ違っているかもしれませんが、
嫌な相手に感謝するというところは、なるほど、そういうとらえ方があるのか、、ととても印象に残ったことを覚えています。
嫌なことを平気でしてくる人というのは、魂のレベルで言うと、まだ幼稚なのです。
天に唾すれば自分に落ちてくるように、自分の行った行為が、ゆくゆくどういう結果をもたらすかということまで思いが至らないのです。
つまり、シャーリー・マクレーンさんが言っているように、そういった人たちは、
自らのカルマを犠牲にしてまで、嫌なことというのはどういうことなのかということを教えてくれている存在と言えるわけです。
こう考えると、いつか仕返しをしてやろうとなどではなく、相手がとても気の毒に思えてきます、、。
復讐するは我にあり、という言葉がありますが、これは聖書にある神様の言葉です。
これは放っておけば、必ず、その人は、それと同等かそれ以上の苦しみを味わうようになるので、あなたが何か仕返しをしてやったりする必要ないですよ、ということです。
一番大事なことは、自分が悪いカルマを作らない、そして自分の幸せ波動を落とさないことです。
嫌なことを何度も思い出して、その都度ダークな思いにとらわれているとしたら、それこそ損なことです。
嫌な気持ちになった出来事を工夫して、むしろ自分の気持ちを優しく、明るい方向にもっていきたいものです。
嫌なことをしてくる人は世の中にある一定数いるものだし、また生きていれば、ツイテいないと思うようなことも起きてくるものです。
それらをどうやって退治していくか、というのは一種のゲームのようなものだと思えばいいのです。
一人さんが仰るように、
ツイテないと思えることが起こった時も、まずツイテル、ツイテルと言ってみる、
また、一人さんのように困ったことが起きた時でも、
あ~、幸せだなぁ~、楽しいことになってきた
などと言ってみる
また、
このことがダイヤモンドに変わる
などの言葉もいいものです。
一見マイナスに思えるものも、エイヤっとひっくり返して楽しいものにする技を色々と身に着け、
一瞬たりとも幸せからはずれないように生きていたいな~、、と思う彦兵衛であります。
タイトル: 嫌いな人に感謝するには、、
でありました。
おしまい
<(_ _)>
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