本日は雪の降る中、東京の美術館を2軒梯子してきましたが、そのことは次回のブログにでも書こうと思います。
さてシリーズで書いている『乳がんと牛乳』ですが、一通り読み終えました。予想に違わずすばらしい本で、こういう人を真の科学者というのだと感じました。
なぜそう思ったかは追々このブログで紹介していこうと思いますが、一言で言うと現代の科学が陥いりがちな本質的な問題(=要素還元主義=木を見て森を見ず的視点)を医療・病という具体的な例においてしっかりととらえているという所にあります。
しかしとりあえずはそのことは今回は触れず、本文の印象に残った箇所がいくつかあるので、それを順次取り上げていこうと思い。
今回とりあげるのはヒポクラテスについてです。
本文の中にヒポクラテスのことばの引用が二か所あったのですが、今から2千年以上も前に、現代にも通づるようなことばを残しているところがすごいなと思いました。
(ちなみにヒポクラテスさんは「西洋医学の父」と言われる方です)
------本文より-------
西洋での食事による病気の治療は、紀元前400年のヒポクラテス医学にまでさかのぼる。
ヒポクラテスは、魔力や超自然的な力によって病気になるという考えを排し、病気にはすべてそれなりの合理的な原因があると説いた。
ヒポクラテスは、病気の原因は、吸う空気、飲む水、食べる食物のなかにあり、空気、水、食物を正せば本来備わっている自然治癒力によって病気は治ると説いた。
このヒポクラテスの考えは現在でも基本的に正しい。
P.48
患者が往々にして困り果てるのは、お医者さんが、ものごとを曖昧にするためにつくりだしたとしか思えない、意味のよくわからない言葉を使うことだ。
今から2000年以上も前に、ギリシャの医師ヒポクラテスは
「医師同士のあいだで使う専門用語で一般人に語ってはいけない」
と医師を戒めていた。
p.52
-------引用終了--------
初めの引用に関して、ヒポクラテスはそれまでのシャーマニズム的、迷信的な療法から病をもっと現実的なところに原因があるとして、空気や水、食を正す事の大切さを説いたのですが、
現代は逆にその振り子が振れ過ぎて、病に対して細胞や遺伝子、分子と局所的、微視的、専門分化され過ぎた研究になっており、
それをもう少し身近な本質的なレベルに戻して考え直そうとするとき、再びそのことばが重要性を帯びてくると思うのです。
最後の引用に関しては、医療に限らずどの専門分野に関してもいえることだと感じます。
著者はその前の箇所で「よいお医者さん」と「悪いお医者さん」の具体例をあげているのですが、これについてもおおむね医療以外についていえるかと思います。
よいお医者さん
*一般常識があって、ものごとを明快に説明してくれる医師。
*人のために尽くすことが自分の天職だと考えている医師。
*常に最新の知識・情報をとりいれている医師。
*技術に優れている(たとえば、問診・視診・触診・打診によって全身の検査ができる)医師。
*食事などについて、パートナーとして患者の相談にのってくれる医師。
よいとは言えないお医者さん
*患者の話に辛抱強く耳を傾けてくれない傲慢な医師。質問されると、わけのわからない専門用語を使って答える医師。
*威張る医師。あれせよ、これせよと言うことが大好きで、質問されると怒る医師。「あなたが悪い」という言葉を使う医師。
*専門職として当然知っていなければならないことを知らない医師。
*問診・視診・触診・打診による全身検査ができず、的確な診断をくだすことができない医師。
*病気の根本的な原因に関心がなく、ひとまず症状を抑えて様子をみる医師。患者が次に言葉を発する前に処方箋に手を伸ばす医師。
前のブログで、本物のパッチアダムスさんがいて、彼が本を書いていることを取り上げましたが、実はいまちょうど読んでいる最中なのです。
すごくタイミング的にいいので少し触れますが、彼こそいま上に上げたような良い医者の見本のような人なのです。
というかこんなお医者さんがこの地球上に存在するのが奇跡だと感じるような活動をされているのです。それゆえに初めは相当な反発を受けたそうですが。
しかしどの分野にも本質をしっかりとらえ、軸がぶれる事なく、自らの意思を着実に実現させていく人がいるものですね。すばらしいことです。
参考:
乳がんと牛乳──がん細胞はなぜ消えたのか