2010年3月27日土曜日

下関陶器の旅≪その2≫ ~広島 原爆ドーム~



出発の日。

午前零時過ぎに、小田原着。

ここから18キップでも乗れる夜行「ムーンライトながら」に乗ります。





ホームに「ムーンライトながら」が滑り込んできました。




きたーー!!

一晩この列車に乗るので、宿泊施設が向こうからやってきた感じ。チョット安堵感があります。

この列車は昔の特急列車を使っているらしく、形からして少し全時代的。

最近の特急や新幹線と違ったこのレトロな感じがたまらなくいいです。旅の情緒を感じます。


本当は列車が止まった時にパチリときれいな写真を取りたかったのですが、

私の乗る車両は8号車と後ろ寄りであることが判明、悠長に写真など撮っている暇はありません。




いそげー、いそげー! といいつつ写真を取っている、、、

(気分は銀河鉄道999に乗り遅れんとするテツロウか!? ちょっと妄想入ってます。。。)





翌0555に終点大垣に到着。

私は30分前ぐらいに目を覚まし、名古屋あたりを通過中、家から持ってきていたミカンをムシャムシャ食べました。

車内にミカンの香りが漂いました。食事をしているのは私だけのようです。


大垣から、米原→京都→姫路→岡山と普通電車を乗り継ぎ、、、広島にやってきました!

到着はおよそ1440

雨のそぼ降るなか、はじめてとなる原爆ドーム見学に出かけました。





市電を下りてすぐに原爆ドームはあります。

思っていたより小ぶりでしたが、その歴史的な価値の大きさを思わずにはいられませんでした。

これは人類共通の財産だと思います。





この建物を前にして、人間が同じ人間に対して何をしたのか、その記憶を事実は事実として次の世代に伝えていく必要があると感じました。

私が広島の原爆といって思い出すのが、小学生の時に読んだ『はだしのゲン』です。

漫画の中で描写されている原爆直後のあのおどろおどろしい絵がそのストーリーとともによみがえります。


ドームの横には穏やかな河が流れていました。





いまは整備されてとてもキレイですが、『はだしのゲン』のなかにあったように、

原爆投下後は水を求めてここにたくさんの人があふれていたのだろうと思います。





同じ日本でも、街によって、独特のにおいというか、雰囲気があります。

広島駅を降りてから一貫して感じていたのは、

活気があるものの、チャラチャラしていない地に足のついた落ち着きのある健全な街、いう感覚でした。





それはおそらく、原爆によって人も街も徹底的に破壊されたというどん底体験をしていることによるものなのかなと感じました。

痛みを知っている人は人にやさしくなれるといいますが、街全体が人にやさしいという印象を受けました。

街に市電が走っているのも、人間の自然なペースを大事にしようとする街の性格のあらわれである様な気がします。


どん底体験といえば、『はだしのゲン』の中に、ゲンの父親がゲンに対して注意している場面がありました。

場所は麦畑で、父親は、

「麦は寒い冬を越してこそ初めて芽を出すんじゃ、冬の後には必ず春が来るんじゃ、ゲンよ、麦のように雄々しく生きるんじゃ、」

とそんなセリフだったように思います。

私は小学生だった頃によんだこのセリフがずっと頭に残っていて、

つらい時には、「冬の後には必ず春が来る」というこの言葉を自分に言い聞かせてきました(笑)。

マンガって意外とパワーあるもんですね。結構私はこのセリフに勇気をもらってきましたよ、ホント。


さて、ドームから河をわたって数分歩いて行くと、よくテレビなどで出てくる記念碑があります。

まわりを歩いている外国人の多さにちょっとビックリ。世界中から来ているようです。








広島というと原爆のイメージが強く、その悲惨な雰囲気がずっと残っているのかと思いきや、それは全く逆で、

街自体はとても生き生きしており、原爆ドーム、そしてこの記念碑の周辺は、逆に人々の平和の祈りあたたかい想いが石畳に染みついているかのようでした。

おそらく世界中にある聖地もこんな雰囲気なのだろうと思います。




石碑には、

安らかに眠ってください

過ちは

繰り返しませんから


と刻んであります。

私はここで手を合わせてから、広島にいる間中ずっと考えていました。

同じような過ちを繰り返さないために何ができるのだろうか?

と。一発の原爆によって、何万もの人が一瞬にして命を失ったわけですが、彼らがある意味命を張って提供してくれた教訓をどのように生かしていったらいいのだろうかと。

よく大学の構内や駅の近くなどで拡声器を手に、声高に政治思想などを説いている人がいますが、ああいうやり方ではないなと思います。

大きな声でメッセージを伝えようとすればするほど、聞く方は心を閉ざすような気がします。

あまり背伸びをしない方法で、悲惨さをことさら強調することなく、

原爆によってどういうことになったかを身の回りの人に話す機会をもつようにすること、

それぐらいが自分のできることかなぁと思います。

でも日本人なら、はだしのゲンぐらいは読んでおきたいですね。


さてこの記念碑の向こう側には、原爆資料館があります。





入館料はわずか50yen

もうちょっととってもいいんじゃない?と思いました。

私はリュックを背負っていたので、ロッカーに預けましたが、ここは100円を入れてあとで返却されるロッカーです。

外国の人などは有料と勘違いする人が多いためか、前の人が取り忘れた100円があったため、私はその100円で荷物を預けました。

ということで入場料として50円払ったのに、最終的には50円のプラスになってしまいました。なんとも申し訳ない気分です。


下は原爆投下直後のドーム周辺の写真↓










ドームはこのデルタ地帯の左側(東側)にありました。




模型の中の赤い印が爆心地、右下がドームです。





デルタ地帯の先端にある橋は相生橋といい、ここがちょうどT字になっていたため原爆の投下目標だったそうです。










資料館内にはドームの模型などをはじめ、映像や実際に触れる展示品などもあり、

見学者が興味をひきやすいようによく工夫されていると感じました。




資料館二階からみた記念碑↓





この資料館は1時間半ほど見ていました。

全体としてよく工夫して展示してあると感じましたが、はだしのゲンなどで描かれているような、

指の先から溶けた皮膚が垂れ下がって歩いている人や、ガラスの破片が無数に刺さった人などといった、
実際の悲惨な写真がもっと見れるのかと思っていたのですが、

そういった写真はほとんどありませんでした。

原爆の悲惨さを伝えるなら、あれに勝るものはないと思うのですが、被災者の方々にとってはあまり出して欲しくないものなのかもしれません。


資料館を出て、平和公園をあとにしました。

道路に出ると、バスや市電がひっきりなしに走っています。





原爆という人類が経験した中でもっとも悲惨な体験をした街であるにもかかわらず、

悲惨さをことさら強調して人の同情をひこうとするわけでもなく、

また無節操な経済発展に奔走する訳でもなく、

人間のペースというものを大事にした穏やかさとともに活気のある街に、とても好感をもちました。

今回は一日のみの滞在でしたが、またゆっくり広島を見学してみたいなぁと思いました。

夜はしっかり広島風お好み焼きを食べ、賀茂泉というおいしい地酒を頂きました。

広島いいところだなぁ~。


つづく



参考:

資料館でもらったパンフレット↓









平和記念公園周辺地図↓
http://www.mapion.co.jp/m/34.3932425_132.4550125_8/


アマゾン↓
はだしのゲン



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