先日、兄が学会のため数日家に泊まっていったのですが、
なんとなく話している中で最近兄が読んだ本の話しになりました。
昔、池田高校という県立の高校がよく甲子園に出ていたことをまだ記憶にとどめている方も多いと思いますが、
兄は、池田高校が高校野球の常連で強かったのはどうしてなのか、ふと疑問に思い、池田高校で采配を揮っていた蔦監督の本を読んだのだそうです。
それによると、蔦監督は、とにかく生徒を信頼したのだそうです。
生徒たちは皆強いんだ、力をもっているんだ、
という思いを常に持って生徒たちを指導していたのだそうで、それが池田高校の強さの秘訣だったのだそうです。
私はこれを聞いて臨床心理学者の河合隼雄さんが書いていたことを思い出しました。
彼は京大数学科の出身ですが、
数学の能力というのはほぼすべて天賦の才能によるもので、
しかもそういった才能に恵まれている者というのは、ごく稀にしかいないので、
数学科の教授たちは、入ってくる生徒たちに、はじめからほとんど期待しない、
多くの者は使い物にならない、というような態度で接し、その結果学生はなかなか伸びない、というようなことが書いてありました。
しかしそれとは逆に、河合さんのお兄さんは猿の研究で有名ですが、
京大の理学部の生物の分野では、教授たちは入ってくる生徒は皆、すばらしい能力を秘めているという態度で接してくれのだそうで、
従って学生が本当にドンドン伸びていくのだそうです。
河合隼雄さんは、この例から、
カウンセリングにあたるときには、クライエント(患者)に対して常に、本来は健全な心をもっている、という思いをもって接することの重要性を説いていました。
決して言葉にして出さなくとも、そういう思いをもって接していくだけで、相手が変わっていくのだそうなのです。
カウンセリングは「心の病」を扱いますが、
この心構えは、子供にどう接するか、新人にどのように接していくかという教育、ひいては人との接し方全般につながってくると思います。
(おそらく自分の体や動物、そして物などにもあてはまってくることなのかもしれません)
そういう意味で、あらゆることに対して、どのようなイメージ、心構えをもって接するかかというのは、すごく重要なポイントだと思います。
仏教では、あらゆる人は仏性(ほとけの心・ブッダと同じ心)を本来もっているとしています。
ゴータマ・シッダールタがブッダ(目醒めた人)と呼ばれるのは、その心の領域(仏性・菩提心)に目醒めたからであり、それはだれにでも可能であるといいます。
これはとてもカウンセリングの理論に近いもので、河合氏が仏教に引き寄せられていったのもうなずけるところです。
さて心構えも大切ですが、同時に言葉にも気をつけたいものです。
というのも、私達が何気なく口から発している言葉によって、自らを規定してしまうことが少なからずあるからです。
先日、フジテレビの番組「ホンマでっか」を見ていたら、パネリストが次のような事を言っていました。
自分で、「私は年だから物忘れする」といっていると、本当に物忘れをするようになってしまうという事があるのだそうです。
こういうことは日常、結構頻繁に起こっているように思います。
たとえば、暑い日に、アツイ、アツイ、と言っていると、暑さがクローズアップされて、必要以上に暑さを感じるようになるような気がします。
心頭滅却すれば、、、
というのは少し極端ですが、これにも一理あるような気がします。
また
また
疲れた、疲れた、
という言葉を連発するような人と一緒にいると、こっちまでグターっとしてくるので、あまりそういう人の近くにいたいとは思いません。
しかし日常の挨拶として、私たは頻繁に
お疲れ様~
といって、お互いを疲れさせる言葉をなすりつけあっています。
しかしこのお疲れ様の代わりに何か別のことを言うのって、とても難しいんですよね。
しかし日常の挨拶として、私たは頻繁に
お疲れ様~
といって、お互いを疲れさせる言葉をなすりつけあっています。
しかしこのお疲れ様の代わりに何か別のことを言うのって、とても難しいんですよね。
他には、ガンバレー、なんていうのも、妙に力んでしまいそうで、英語の
Take it easy! (気楽に行こうぜ!)
の方が私は好きですね。
逆にこういった言葉の持つ力を利用したのが、 フロイトと同じ時代に生きた、フランス人のエミール・クーエです。
彼は言葉による暗示の効用を説いていますが、彼の著作を読むと、ナルホド、と頷ける点がとても多いです。
キリストは、
口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである(マタイ15-11)
ということを言っています。
キレイな言葉、ポジティヴな言葉を使うようにするって、私達が思っている以上に大事なのかもしれません。
ブッダは、悟りに至る道として、身口意の三業(シン・ク・イのさんごう:心と言葉と行動)に気をつけるように言っています。
人間の活動全般を視野に入れ、それらをバランスよく整えていくというのが健全な心に到る道なのでしょうか。
心は体に影響を及ぼし、当然体の状態が心にも反映します。そして言葉もまた然りです。
最近ホリスティック(holistic:全人的)ということが医療でも教育の分野でもよく耳にしますが、
このホリスティックという語は、whole(全体の、健全な)や holy(神聖な)と同じ語源をもつ語です。
全体を視野に入れる事と、健全さ、神聖さとは同じ概念なんですね。
科学が進み、ものごとが常に分化、専門化、先鋭化していく中で、神聖さとつながった全体を見る視点というのを常に忘れずにいたいものです。
おしまい
参考:
蔦監督 〔ウィキペディア〕
蔦監督の著作 〔アマゾン〕
フジテレビ:ホンマでっか!?TV
エミール・クーエの本〔アマゾン〕
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