2008年10月16日木曜日

ルドルフ・シュタイナーの菜食観 その壱

-
はじめに、
前回の食糧難関連情報として、明日10月17日(金)午後7時30分~8時43分NHK総合で、

世界同時食糧危機(1) アメリカ頼みの“食”が破綻する
http://www.nhk.or.jp/special/onair/081017.html

という番組をやるようなのでお知らせしておきます。一見の価値ありと思います。

さて前回のブログの中で再び肉食の環境に対する負荷、その効率の悪さを取り上げましたが、今回から何回かに分けて、ルドルフ・シュタイナーが食、特に菜食と肉食の違いについてどのように述べていたかを取り上げたいと思います。

参考文献:

ルドルフ・シュタイナー/西川隆範 訳 『シュタイナー 健康と食事』 イザラ書房 1992

-----------------

つぎのようなことを考えてみてください。いろいろな道具を使って家をたてるとします。原始的な道具を使って家を建てるなら、自分の意図どおりに建てられます。三、四人の人がすでに準備した家を、その人たちといっしょに建てる場合はどうでしょうか。仕事は楽になるでしょうか。そうはなりません。すでにまえもって下ごしらえができているものを使うと仕事が楽になる、という考えがあります。しかし、原始的なものを使用することによって人間は活発で、独立した存在になるのです

<中略>

人間が神経組織をみずから構築するなら、その神経組織は精神的=霊的なものに対して敏感になります。個人という狭い限界から発する偏見を超えて、事物の壮大な関連を見上げることができるのは、菜食のおかげなのです。大きな観点から自由に人生と思考を整頓できるのは、菜食のおかげです。怒り、偏見に狂うのは肉食のせいです

しかし、わたしは菜食主義を扇動するものではありません。肉食は人間にとって必要なものでした。今日なお必要なものです。地上の人間は堅固であらねばならず、個人的になるべきだからです。人間が個人的な興味を抱くのは、肉食のおかげなのです。戦争をしたり、共感や反感を持ち、感覚的な情熱をもつ人間がいるのは、肉食にその原因があるのです。人間が狭い興味に夢中にならず、普遍的なものに興味を持つのは、菜食のおかげです。

菜食を好む民族は霊性への素質を有し、そうでない民族は勇敢で、果敢です。勇敢さ、果敢さというものも人生には必要です。勇敢さ、果敢さというのは、個人的な要素なしには持つことができません。そして、個人的な要素は、肉食なしには存在しません。

この問題を、きょうは、まったく一般的、人間的な観点からお話しします。人間は肉食によって個人的な興味に没頭できることが明らかになります。しかし肉食によって、存在を概観するための人間の感覚は濁ります。「自分はどのようにしたらいいのかわからない。彼がどのように、それをなしたのかわからない」というように思うとき、それがいかに食べものに原因しているかは、たいてい気づかれていません。

全体の関連を見通すことができないのは、食べものにその原因があるのです。全体の関連を見通せることの場合、その人がなにをたべているのか、そしてその人の祖先がなにを食べていたかにその原因があるのです。祖先が基礎づけたものを一つの人生でくつがえることは、往々にして困難です。
(p.16-19)
-------------------

シュタイナーが、食を建築にたとえているのは面白いと感じます。すでに出来上がったタンパク質を自らの材料とするより、原始的な材料から自らの体を構成する方が人は活発になると述べています。

私はこれを読むとき、狂牛病を思い出します。狂牛病の原因とされるプリオンについてはいまだよくわかっておりませんが、驚くべきことにタンパク質のような生物(?)だと言われています。

人間の消化といのは食べた物を分子レベルまで分解して自分の体にあったように再吸収しているのかと思いきや、実は利用できるものはある程度そのまま利用しちゃっているみたいです。そうでなかったら、プリオンの入った肉を食べる事でそれが人間の脳に至って脳みそをスカスカにしてしまうことなどないはずです。

シュタイナーが「原始的な道具を使って家を建てるなら、自分の意図どおりに建てられます」というこのたとえは真理をついているのかもしれません。


シュタイナーによる肉食と菜食の違いをまとめると以下のようになります。

肉食=怒り、偏見にとらわれる、興味の範囲が個人的なものになる、勇敢・果敢な性質を帯びる、物事を概観するための感覚が濁る

菜食=霊的なものに敏感になる、事物の壮大な関連を見渡すことが出来る、普遍的な興味をもつ、霊性への素質を有す

シュタイナーは肉食を否定しないまでも、全体としては菜食をすすめています。特に精神的な道を志すひとたちには菜食を勧めています。あとがきには以下のようにありました。

-----------------

シュタイナーは、一九〇四年に行の伝授を目的とした秘教学院の開始にあたって、

酒は脳に作用して、霊的な器官を破壊し、修行が不可能になるので、酒類は一切禁じる。肉食は禁じないが、肉食をしないと低次の性質との戦いが容易になるので、肉を食べないほうがよいということに注意するように

という規則を作っている。(p.162)

-------------------

0 件のコメント: