2008年10月18日土曜日

ルドルフ・シュタイナーの菜食観 その参

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今日知ったのですが、コンピューターの

「すべてのプログラム」→「スタートアップ」

のフォルダ内にコンピュター起動時に立ち上げたいプログラムのショートカットを入れると、それが自動で立ち上がるようになるんですね。ここにインターネットエクスプローラーのショートカットを入れておくと、すぐにネットが出来て便利になります。


さて、昨晩やっていたNHKスペシャル

世界同時食糧危機(1) アメリカ頼みの“食”が破綻する
http://www.nhk.or.jp/special/onair/081017.html

の録画したやつを本日見ましたがとてもよくできていて素晴らしい内容だったと思います。これはちょうどいまブログで菜食のことを書いていることと重なるのですが、日本がいかにアメリカの政策によって肉・卵・牛乳を食べさせられるようになったかがわかりやすく説明されていました。

大きな流れとしては、

アメリカが大量の余剰穀物の処理に困る
→日本に肉、卵、牛乳がいかに健康にいいかを刷り込む、給食にパンや牛乳を主体としたものを導入する
→日本において牛、豚、鳥などの畜産が進む
→餌としての大量のトウモロコシを購入せざるを得なくなる

とこういう流れになっていました。そして日本のケースが成功例となって全世界にこの手法が適用され現在の世界的な穀物不足の状況を生み出すに至ったという訳です。

現在はちょうど中国で同じことをやっている映像が流されていましたが、小学校に筋肉ムキムキのお兄さんが来て、牛乳を毎日飲むとこんな体になるんだよ、という宣伝をしていました。

振り返ってみると、ここまであからさまな刷り込みを受けた覚えはありませんが、なんとなく「牛乳は体にいい、骨が強くなる、背が伸びる」などのイメージを知らず知らずのうちに先生をはじめとする周りから吹き込まれていたような気がします。この呪縛から解放されたのはひとえに『エコロジカル・ダイエット』を読んでからでしたが、こういういい加減なことが平気でまかり通っているというのは本当に驚きです。

なぜ牛乳を一番消費しているアメリカに骨粗鬆症が多いのか、あるいは肉食の量とガンの発生率の統計などをしっかり見ればいかにウソ情報に慣らされてきたかがよくわかります。

しかしNHKの番組を見ていて、ナレーションが

健康のバランスを保つために欠かせない肉や乳製品、卵などが高騰して云々、、

という説明をしていたのは可笑しかった。番組内でいかに日本人が刷り込まれてきたかを説明しているのにも関わらず、あたかも肉や乳製品を食べないと死んでしまうかのような調子で話していたからです。刷り込みとは恐ろしいものですね。

もしこれが事実ならこれらの食品を食べてない私はとっくに死んでいるし、昔の日本人はみな栄養失調状態でかろうじて生きてきたということになってしまいます。

番組内では、世界中でいかに毎日の食事の量が減ったかということをやっていましたが、これは逆にいいチャンスなのではないかと私なんかは思いました。食糧がないことを嘆くのではなく、逆に何を食べるべきなのかを冷静に見直すいい機会ではないかと思うのです。

たとえばユダヤ人強制収容所での実体験を書いたV.E.フランクル著『夜と霧』などを見ると、収容所に入って逆に健康になったユダヤ人がいたことを不思議がっている記述があり、また『エコロジカル・ダイエット』によると第二次大戦中に肉が食べられなくなったことによって逆に国民の健康状態が良くなったという報告をしているヨーロッパの国もあるようで、むしろ欲にまかせて好き放題たべているほうが体によくないのは明らかなように思います。

前にもこのブログで書いたように、私は肉、乳製品、卵の類はふだん食べないので食品が高騰しているといってもまったく実感がないのです。私の頭の中では、海パン一丁の小島よしおが「そんなのかんけーねぇー」と踊っています(笑)。

菜食にすると本当に体がすっきりして軽くなります。逆に外食などで肉を食べると肉ってこんなに重かったのかと驚いてしまいます。そして焼き鳥屋や焼き肉店などの前から肉の焼くにおいがして来ると、うっ、と思わず息をつめてしまうようになりました。死肉の焼けるにおいがしてきたという感じです。ちょうどタバコのにおいをかいだときと同じ感覚ですね。

今回書いた内容に重なるシュタイナーの言葉を引用して今回はおしまいにします。

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子どもが砂糖をなめるのは、栄養のためではありません。子どもがなめる砂糖には栄養になるものがいくらかありますが、しかし、子どもは栄養のことを考えて砂糖をなめているのではなく、甘いからなめているのです。砂糖をなめるときには、甘さが意識されます。牛や豚の脂肪を食べるとき、子どもが砂糖をなめて喜ぶように、快楽を満足させているのです。もちろん、人間は生きていくうえで、そのような内的な快楽を必要とします。ですから、肉が好まれるのです。肉が好きだから、肉を食べるのです。

しかし、狂信的になってはいけません。肉を食べなければ生存していけない人々もいるのです。ほんとうに肉なしで生きていけるか、入念に吟味しなければなりません。しかし、肉なしでも生きていける人が、肉食をやめて菜食にすると、以前よりも壮健になったと感じます。難しいのは、多くの人が肉なしでは我慢できないということです。しかし、肉食をやめ、菜食にするなら、壮健になるのを感じます。脂肪を外から堆積させるのではなく、自分自身の脂肪を作ることになるので、壮健になるのを感じるのです。

この二十四年間、わたしは多忙な日々を送ってこなければなりませんでしたが、菜食にしていなければ、それらの日々に耐えることはできなかったでしょう。夜通し旅行し、つぎの日に講演をするというようなスケジュールをこなすことはできなかったでしょう。菜食にしていると自分の体内でおこなわなければならないことが、肉食だとなくなるわけです。しかし、わたしが菜食主義を宣伝しているとは思わないでください。菜食にするかどうかは個々人の問題であって、菜食だけで生きていけるかどうか、慎重に吟味しなければなりません。(p.73-74)

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参考:
ルドルフ・シュタイナー/西川隆範 訳 『シュタイナー 健康と食事』 イザラ書房 1992

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