2008年11月12日水曜日
ミクロな視点とマクロな視点
今回のインドの乗り物は、牛車とサイクルリクシャーです。
さすがインドと思うのが、この牛にひかせた乗り物ですね。この牛、近くで見るととても巨大で、つい見入ってしまうほどの迫力をもっています。
サイクルリクシャーは三輪の自転車で後ろにお客さんを乗せます。これがギヤもついていないので、漕ぎ始めとかいつもめちゃくちゃ大変そうです。商売道具ならギヤぐらいつける投資をしてもいいんじゃないか?とチャリ通の私は思ってしまうのですが、いまだにギヤを装備したサイクルリクシャーにお目に掛かったことはありません。
さて前回のオバマ氏に関するブログに対してikte2 さんから次のようなコメントを頂きました。
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アメリカではメタボなのは、圧倒的に低所得者、低学歴の方々多く、
高所得・高学歴でセレブな方々は、お金や知識があるので脂肪や砂糖が少ない新鮮で健康なお金のかかる食材を食べれるらしいです
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確かにそうらしいですね。食に関する本を読むと、向こうでは学歴や社会的な地位と食や運動などの健康にに対する関心の度合が比例しているそうです。
特に私が大きいと思うのが、「知識」の差ではないかと思います。というのも、地産地消(地元でとれたものを地元で消費する)を実践し、季節の旬のものを食べれば効率が良くとても安くつくからです。
私が思うに、アメリカは格差が激しいので、同じような傾向を持つ人たちはその人たち同士で集まりやすく、周りが皆同じことをやっていたら特に疑問も持たないのではないかと思います。またそのような健康に対する知識に接する機会が少ない、あるいはそのような知識を吸収する余裕がないということも有るような気がします。
それでは日本ではどうなのでしょうか。
私が見渡す限り、あまりこのような傾向はないような気がします。ただ傾向として二極化しているように思います。知っている人はちゃんと毎日の生活の中に取り入れて実行しているし、知らない人、やらない人はまったくいままでのままの生活スタイルを続けているように思います。
私は効率がいいことは正しいことだと思います。というのも自然、あるいはすべての生き物は効率の良い方向に自らを変えていくからです。
効率がいいとはどういうことでしょうか。私は効率には二種類あるようにおもいます。目先の効率と長いスパンで見た時の効率です。
目先の効率とは、たとえば極端な例でいえばグランドステージの設計偽装にあったような場合です。鉄骨を少なくすれば、安く短期間で出来、また地震で壊れればまた仕事が来るという発想です。しかし一度不正が明るみに出れば、できたものをまた崩して、立て直すというべらぼうな手間がかかります。
長いスパンで見た時の効率というのは、遠回りかもしれないけどちゃんと環境に配慮した設備を整えたりすることで、持続可能な生産、消費のシステムです。これは結局地に足の着いた地道な毎日の積み重ねです。
この具体例が健康だと思います。人が死ぬまで自分の身の回りの事は自分でできる程度の能力(脳力)をキープできるだけで、医療費も社会保障費も人的資源も格段にセーブできるのです。またそのような元気なお年寄りばかりになれば、消費も持続でき、社会に活気が出てくるのです。
もし人を今のように目先の状況を整えるために酷使し続ければ、短期間でみればいいかもしれませんが、長期的に見れば多くの人が早晩病になって社会的には負荷になりとても効率が悪いです。
これにからめていうと、いま国会で審議されている数兆円に及ぶお金のばらまきはどちらになるのでしょうか。私は明らかに目先の効率であるように思います。ただでさえ莫大な借金を抱えているのにまた赤字が膨らんで、借金が借金を呼び、結局は後々痛い目を見るのは私たち自身です。
このような経済状況になったのが、目先の効率を求めた結果なのに同じような発想で対処しようとしているのがとても滑稽に思えます。またどの報道をみても、はやくお金もらえないかな、いくらもらえそうか、といった論調ばかりで、長期的な視点、より根本的なところに立ってものをいっている人が見受けられません。
ミクロな視点とともに常にマクロな視野をもっていたいものだと常々思うのです。
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