多産な動物というと身近なところでは犬や猫を思い起こしますが、人間も多産だといわれると意外な気がしないでしょうか。
先日放送していたNHKの
「サイエンスゼロ:人の謎に迫る②」
という番組によると、実は他の類人猿に比べ、人間は極めて多産なんだそうです。
ここで比較する類人猿とは、人間と700万年前に別れたチンパンジー、900万年前に別れたゴリラ、1400万年前に別れたオラウータンです。
人間が出産後40日でまた受精が可能になるのに対して、ゴリラでは4年、チンパンジーでは5年、オラウータンに至ってはなんと8年も子供ができないそうです。
これは類人猿の授乳期間が長いためだそうで、メスは子どもに授乳するによって体内に発情を抑えるホルモンが分泌されその間子供ができないのだそうです。
こう比較してみると、人間が他の類人猿に比していかに繁殖力旺盛な動物へと変化したかがよく分かります。これは人間がそれまで食料が豊かで、外敵に襲われる危険の少なかったジャングルを出たことによるのだそうです。
危険が多く食料の少ない草原地帯に入って行ったときに、人間は多産という生存戦略を選択したのです。
万物の霊長といわれる人間が、たくさん産むことで生き残りを図ろうとする戦略をとっているというのは、こと生殖に関して言うなら退化のように思え、かなり意外に感じました。
また番組では、多産であること、二足歩行をしなければならなくなったこと、体より脳を発達させる方向で進化をはかることなどによって、子どもは未熟児として生まれざるを得なくなり、その結果人間は共同で作業するようになった、つまり社会性がでてくるようになったと説明していました。
◎危険が多く、食糧が少ない→ 多産という戦略
◎草原を歩かなければならない→二足歩行→産道が狭まる
◎新しい環境での生活→脳を肥大化させる方向で生存をはかる
⇒未熟児として子供を出産→子供は共同で育てなければならない(教育・ことば・社会性)
こうして多産な体となり、二足歩行をして新しい環境に広がっていく戦略をとった人間は、アフリカを出て、ヨーロッパ、中東、アジア、アメリカ大陸へと地球上の隅々まで広がっていくことができたそうです。
しかし一方、人間が地上に行きわたりフロンティアを失った時、土地に対する所有意識と、境界という概念が生じ、戦争をするようになったのではないかと説明していました。つまり陸地に人間が飽和状態になった時に、多産という戦略をとった人間に戦争が生じるのは必然ではなかったのかということです。
また生活基盤が整い、医療が生き届くようになったここ数百年において、人間が人口爆発と呼ばれる現象を引き起こしたのも人間が本来多産だからといわれれば納得できます。
数万年をかけて死ぬ思いで全大陸に広がった人類が、現在高度な文明を築いて安住しているということは、おそらく私たちの体と心(脳)はまたそうとう急速な変化(部分的には退化?)の時期を迎えているのではないかという気がします。
その変化が将来の世代にとって良いものであるように私たち一人一人が自覚をもって生活する必要があるのではないか、と番組を見終えて少し真剣に考えてしまいました。
また番組内で、研究者が人間とは一言で言うと何かという問いに対して、
「人間とは他者のなかに自分を見たがる動物である」
という定義をしていましたが、これはなかなか面白いと感じました。人間の定義として、道具を使う、言葉を話すなどは一般に言われることですが、このような哲学的な定義を類人猿の研究者が述べていたのは興味深かったです。
しかしそもそも、『人間とは何か』という問いを発していること自体が人間の特質なのかもしれない、と私は感じました。
参考:
サイエンスゼロ:人の謎に迫る②
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp234.html
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