2006年5月のカレンダー
塚越さんの経営哲学は、
会社で働いている人を幸せにし、それを通じて社会に貢献する
ということでしたが、働いている人を幸せにすることを考えると、会社内の流れがいい方に回っていくようです↓
機械はカタログに書かれた程度の能力しか発揮しないのに対して、
人間がやる気を出すと何倍もの力を発揮し、仕事を追いかけるようになるといいます。
普通、仕事に追われて、、、という言い方が一般的ですが、
仕事を追いかける
というのは、ポジティヴでいい表現だなと思いました。
また人材は人財であるという言い方がありますが、結局人間を大切にすることがその企業の原動力になるんだろうとおもいます。
また塚越さんのこの考えは、教育にも共通することだと思います。
前にガウディの教育観のところで、学力についてとりあげましたが、私は学力にはふたつあると思っています。
一つは点数として計れる学力と、もう一つは数字にはならない学力=学ぼうとする力、やる気です。
国際学力比較などで良い点をとるために、数字として計れる学力ばかりを追い求め、
肝心の学生のやる気の方をそいでしまったら何もならないと思うのですが、
塚越さんのやる気を育む経営というのは、まさにいい方の教育のあり方だなと感じました。
さて最後になりますが、塚越さんは、 幸せになりたかったら、人に感謝されることをしなさいとおっしゃってます↓
おそらく、これがすべての原点だと思います。
前に映画「ザ・カップ」を取り上げましたが、あそこの最終回で僧院長が語っていました。
すべての悩み・苦しみは己に執着することに起因している。そこから解放されたかったら、おのれと同じように他者を慈しみなさい、と。
塚越さんがおっしゃっているのは、まさにこのことですね。利他が結局は自利につながるというのは矛盾しているようで面白いですよね。
このことを商売という場で実践され、成功されているというのが本当に素晴らしいことだと思います。
2008年6月のカレンダー
自と他における、楽しい・苦しいで社会の現象を見てみると、以下の四つのタイプに分けられるかなと思います。
自他=楽楽、苦楽、楽苦、苦苦
自他共に苦しくて、つらいだけというのは、まったく生産性がなく、あまりない現象ですが、あえて挙げるとしたら戦争なんかがこの範疇にはいるのでしょうか。
自分が苦しくて相手が楽しいというのは、ボランティアなどがその範疇に入るのかもしれませんが、こういう形態はそれ自体では長続きしません。
二宮尊徳は推譲ということばで、余力が出たらそれをを将来や周りのために譲ることを説きましたが、余力があってはじめてできることだと思います。
自分だけ楽しくて、相手が苦しいというのは、極端な例だと犯罪といえます。
今回の金融危機を招いた証券会社の社員たちも、
やっていたことは自分だけよければ社会がどうなろうとお構いなしというスタンスだったので、広い意味では犯罪といえるかもしれません。
自他共にともに楽しい、楽・楽というのがすべてにおける理想で、これを実現しているのがかんてんぱぱの経営だといえます。
そしておそらく自然界の多くは、自他共に楽しいという共存の関係にあると思います。
自他共に楽しい、楽しいだと、そこにエネルギーのロスがなく、新たなエネルギーがどんどんに生まれてくるように感じます。
そういえば、前に神道のこころで取り上げた宮司の葉室さんは、
働くとは、「はた」を「らく」にさせること
だと述べていましたが、これはまさに利他の心で、塚越さんのおっしゃっていることと同じです。
これからは経営も、かんてんぱぱのように自他共に楽しくなるようなあり方が求められるだろうと思います。
またそのような形態でないと今後は生き残れなくなるのではないか、とそんな気がします。
金融危機でどん底にあるアメリカの企業の中から、
塚越さんの経営哲学に共鳴するような企業がひとつでも、ふたつでも生まれてきたら素晴らしいなぁと思うのであります。
2005年6月のカレンダー
おしまい。
参考:
かがり火〔グーグルアルバム〕
:塚越氏を紹介した広報紙の一部
http://picasaweb.google.co.jp/mshikon/QztGsF
(F11キーで全画面表示にし、写真右上にある虫メガネのボタンで拡大すると読みやすいかと思います。)
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