昨日はブレイン・ルール↓
を紹介しましたが、
こんなゲーム↓ があることを知っていましたか?
実際、DSからこんなゲームは出ていません!
これは、ギズモードのフォトショップコンテスト、
「数百年前にあったら大流行していたゲーム」
として紹介されていたパロディーです。
この場合は石器時代にあったら、その時代の人類が遊んだであろうということなのでしょうか。
しかしこれを見て、石器時代の人と現代の人類を比べた場合、現代人の方が優れているといえるのかなと思いました。
確かに現代は、今までに文明が積み重ねてきた知識の量では圧倒的に多いでしょうが、個々の能力で比べた時どうなのだろうかと思うのです。
たとえば『ブレイン・ルール』の著者ジョン メディナ氏が述べているように、運動することによって大脳が刺激され、発達するなら、
石器時代の人の方が圧倒的に体を動かしていただろうし、
また現代のような利器がないので、自分たちで色々と工夫しなければならなかったわけで、
より健全に脳を使っていたのではないかと思うのです。
ネアンデルタール人は、直接のホモサピエンスの祖先ではありませんが、
ネアンデルタール人の脳の容量はホモサピエンスより大きかったそうです。
単純に脳の容積が大きかったからより優れていたとはいえませんが。。。
人間の賢さには、クレバー(clever)とワイズ(wise)があるように思います。
クレバーはどちらかというと小賢しい、ずる賢いという感じで、ワイズは智慧があるといった意味になるでしょうか。
ネアンデルタール人は、ホモサピエンスに駆逐されてしまったそうですが、
ネアンデルタール人は死者を花とともに埋葬するなどやさしい側面があったそうです。
もしかしたら、ネアンデルタール人はワイズではあったけど、
クレバーなホモサピエンスに圧倒されてしまったということは考えられないでしょうか。
たとえば、現代においても自然と調和していたネイティヴの人たちは、
圧倒的な暴力をもった文明人にことごとく制圧され、ある場合は完全に滅ぼされてしまいました。
もっとも近い例でいえば、精神性を重んじていたチベットは中国に侵略され、
チベットで暴動が起こると、内政干渉として制圧される状況にあります。
こういう歴史の流れを見てくると、ワイズな人たちはクレバーな人たちに征服されてきてしまったように思います。
確かに暴力に優ったならず者がいちゃもんをつけてきたら、服従するか戦って死ぬかの選択しかないように思います。
そうするとクレバーになればいいのかといったら、クレバーというのは最近のことでいえば、金融工学などを考え付いたような人たちで、
目先の利益には鼻が利く一方、長い目で見たら自分たちを蝕んでしまうようなことをやっているように思います。
やはりクレバーな人たちにも、より大きな展望をもつ真の賢さが必要だし、
ワイズな人たちも、クレバーな人たちに圧倒されないような、毅然とした態度がとれるような現実に即したクレバーさを身につける必要があるのかもしれない、、、
などと思いました。
しかしこれからは社会全体が単なるクレバーからワイズな方へとシフトして行くだろうという気がします。
これからどういう社会になっていくか、面白いなぁと思うのです。
おしまい。
参考:
Gizmodo Japan
http://www.gizmodo.jp/2009/06/post_5732.html
ジョン メディナ (著), 小野木 明恵 (翻訳)
ブレイン・ルール
日本放送出版協会 (2009/05)
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