前に歌川国芳の浮世絵 について書きましたが、実は私も国芳の絵葉書をもっていたことが判明しました。
それがこちら↓
百ものがたり(1839年頃)
京都にいた時に訪れたどこかの美術館に絵葉書が置いてあり、
あまりにも面白い図柄だったので、見に行った展示とは関係なしに買ってしまったのでした。
百ものがたりというのは、百の怪談を話していくと、最後に本当に化け物があらわれるという話です。
鉢のなかの金魚さんたちが、百ものがたりをしていたら、さいごに化け猫があらわれたということなのでしょうか。
金魚やドジョウ(?)さんたちが人間のように慌てふためいている様子がなんともユニークです。
また猫も本気で食べてやるというよりは、なんかべろーんと下を出して脅かしているだけのようです。
前回、国芳の浮世絵を検索していたら、この「金魚づくし」にはシリーズがあり、全部で八枚あるとのことです。
その全部を載せているHPを見つけ、
私のもっている絵葉書もおーっ兄弟を探し当ててくれたか、
と心なしか喜んでいるようであり、ここに残りの七枚を紹介しようと思います。
にはかあめんぼう(1839年頃)
こちらはにわか雨ではなく、にわかアメンボウです。
水の中に住む金魚がどうして雨をよけんのかと思いきや、アメンボウが降ってきたというわけです。
いったいどこからこんな発想が浮かんでくるのでしょうか。面白いですね。
カエルになりかけのオタマジャクシまで傘をかぶって、あちゃーとか言っているのでしょうか。
さらいとんび(1839年頃)
こちらはとんびが何かをさらっていったようで、下の金魚さんたちが騒いでいます。
おぶわれている子供がかわいいですね。杖をついているのはおじいさんでしょうか。
カエルくんは棒を伸ばして、トンビから取り返そうとでもしているようです。
サルの横には「御膳 赤ボウフラ」「御膳 みじんこ」と書いてあるのだそうで、金魚の定食屋さんのようです。
昔金魚を飼っていた時に、赤ボウフラをやると発色がよくなるとか言って、ボウフラを取りに行ったことを思い出しました。
たまやたまや(1839年頃)
これは、シャボン玉をぶくぶくやっているようです。子供金魚たちが喜んでいる様子が伝わってきます。
背負われている子ガメのぎこちない手の動きがなんともかわいいです。
そさのをのみこと(1839年頃)
これは日本神話をモチーフにしたもので、スサノオがヤマタノオロチを退治してクシナダヒメを助けている様子のようです。
なんかこのブログ、不思議と日本神話関連のことが出てきてしまいますね。
この出来事は、アマテラスが岩戸を出た後、狼藉を働いたスサノオが高天原を追放され、
高天原と黄泉の国との中間にある葦原中国(あしはらのなかつくに)へいったときの話です。
前回、四股について書いたときにふれた葦原醜男神(あしはらしこをのかみ)=大国主命は、スサノオの六代あとの子孫だそうです。
いかだのり(1839年頃)
なんかのんびりとしていていいですねぇ~。
右側の金魚さんは片足だちしているのでしょうか。
向こうのカエルさんののんきな漕ぎ姿がいいなぁ~。体のくびれ具合がたまらなくよい。
なんか鼻歌でもうたって、えっほい、えっほいとでもいってそうです。
そういえば、お雇い外国人のモースさんの著書『日本その日、その日』によると、
江戸の人って、それぞれの仕事をしながらよく歌をうたってたそうです。
鼻歌を歌えるぐらいの余裕をもって仕事をするのが本来の人間の在り方なんじゃないのかなぁ~と思うのです。
ローマの人は、午前中で仕事を済ませたら、午後は公衆浴場でのんびりお湯につかっていたそうです。
文明が進んだはずなのに、なんで人間はよりいっそう忙しくしているんでしょうかね。不思議であります。
便利だとおもって作った色々な道具はいいのですが、こんどはその道具に人間が振り回され、よけいに忙しくなっているようなことはないでしょうか。
こんな絵を眺めながら、一度人間の在り方を考え直すというのも大切ですね。
まとい(1839年頃)
これは火消しに行くところのようです。 先陣をきって進んでいく小さなカエルさんがなんとも愛らしい。
後ろについてくる金魚さんたちも、あまり大変だという感じが伝わってこなくて、
おっせ、おっせ、しょうがねぇーついてくか、といった感じです。
酒のざしき(1839年頃)
こちらがさいごになる酒のざしき。 べろべろに酔っ払っちゃって踊っています。
お酒を口にしている背を丸めたオヤジ金魚のようすが、いかにも酔っているじで良いのであります。
後ろに立っているカエルくん、なんかツボにはまっちゃったのでしょうか、顔に手を当てて、天を仰いでいます。
これで金魚づくしはおしまいですが、国芳は他にも~づくしというシリーズものをいくつも描いているようです。
その一つがこちら↓
八そふとび
流行道外(りゅうこうどうげ)こまづくし 流行道外(りゅうこうどうげ)こまづくし 有卦福曳(うけふくびき)の図(1858年)
ほうづきづくし、八艘飛びです。
源平の合戦における壇の浦の戦いで義経が次々と舟を飛び越えていった八艘跳びを模したもののようです。
しかしどうしてほうづきから八艘跳びがでてくるのでしょうか。面白いですね。
こちらは~づくしもののなかの、独楽づくし↓
こまの五郎時宗・こまやし朝日奈(1843年頃)
ももんごまァ(1843年頃)
国芳は、色々なものをみるにつけ、こういう物語が頭の中にどんどん浮かんできたのでしょうね。
江戸にこれほどイメージ豊かな人がいたといのは、ただ、ただ驚くばかりです。
さいごにこちらは、“ふ”づくしだそうです↓
クリックして拡大して頂くとよりわかるかと思うのですが、全部名前に“ふ”がつくものだそうです。
私が分かったものとしては、真ん中にいる福禄寿をはじめ、フキノトウ、フナ、フクロウ、かぶ、歩(ふ)、不動明王、フナ虫、、、
ぐらいでしょうか。
江戸時代の人は、こんなのをみて、あれはなんだ、これはなんだ、と楽しかったでしょうね。
こういう遊び心っていくつになっても大切にしたいものです。
おしまい。
参考:
蜻蛉屋〔擬人の蔵〕ここの国芳の画像をお借りしてきました
(ここの他の浮世絵も面白いものばかりです。)
http://akituya.gooside.com/gijinka_no_kura/gijinka_no_kura.htm
歌川国芳〔ウィキペディア〕
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E5%9B%BD%E8%8A%B3
歌川国芳の浮世絵〔彦兵衛のブログ〕
http://mshiko.blogspot.com/2009/05/ukiyoe-by-utagawa-kuniyoshi.html
『歌川国芳(新潮日本美術文庫 22)』 歌川国芳〔画〕 新潮社 1998
『もっと知りたい歌川国芳-生涯と作品-(アート・ビギナーズ・コレクション)』悳俊彦著 東京美術 2008
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