2009年8月13日木曜日
エリートをどう育てるか~反面教師としての日本海軍から学ぶ
先日、NHKスペシャルで三回シリーズの『日本海軍 400時間の証言』というものをやっていました。
日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし
日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙
日本海軍 400時間の証言 第三回 戦犯裁判 第二の戦争
戦後、軍の上層部にいた人たちが自主的に集まって、なぜ戦争になってしまったのか、なぜ戦争に負けたのかなど
反省すべき点を検討し、これからの日本のために役立てようという会議が開かれていたのだそうです。
今回の放送の中で焦点を当てられたのが、軍令部という組織でした。
天皇の統帥権を補佐し、実質軍のすべてを統括するような組織で、
ここに所属する人たちは、本当にエリート中のエリートだったそうなのです。
しかし私は反省会で指摘されていた、その組織のあまりのいい加減さ、視野の狭さに唖然としてしまいました。
日米開戦にあたっての勝算がどの程度あったのか、という反省会での質問に対して、勝つ見込みなど初めから真剣に検討されていなかったというのです。
しかも特攻兵器などは、終戦間際になってやむにやまれず開発したのではなく、戦争のはじめからそのような兵器を作っていたのだそうです。
人間を一人前に育てるのに20年かかるとするなら、それを如何に大事に使い、経験値を高めていくかが肝要なはずなのに、
たかだか一回の攻撃のために、その20年間時間と費用をかけて育ててきた存在を花火のように使い切ってしまおうという兵器を、作戦の初期に考えていたのです。
実はゼロ戦も、当時世界一の性能と謳われていましたが、あれも人命軽視があってのことだったのです。
アメリカはパイロットを守るために、厚い鉄板などを操縦席のまわりに廻らすなどの対策を施していましたが、
日本のゼロ戦は、機動力を極限まで高めるためにそのような対策はまさに“ゼロ”だったのです。
パイロットなどは、特にその経験値が戦闘においてものをいうのに、そのような貴重な人的資源を、湯水のごとく使ってしまったのです。
少し話がそれましたが、軍令部の人たちは何をやっていたのかと言えば、自分たちの組織の権益の維持で、
その内部の闘争に勝つために国を利用し、日本を戦争へ突入させたというのが真実なのだそうです。
私はそのあまりの愚かさ、視野の狭さにあきれてしまいました。
国家を導くためのエリートを教育したはずなのに、自分たちの権益争いのために国を破滅へと導いてしまったのです。
番組内でも指摘されていましたが、これは現在の教育のありかた、そして官僚の行動形態に通ずるものがあるのではないか、ということでした。
本来、官僚は国がよくなるために国家に奉仕しているはずなのに、自分たちの所属する組織の利益のことにしか目がいっていないのです。
私はこれを見て、エリートというものを如何に教育すべきなのだろうかと、考えてしまいました。
たいてい一般にエリートと言われる人たちは、偏差値の高い大学を出ている人たちをさします。
しかし彼らの特質はなんなのかといえば、点数を取る能力に長けているというだけなのです。
つまり、記憶力がよくて、テストという与えられたルールの中で、制限時間内にいかに高得点をとるかという能力に長けているというだけなのです。
それはどのような能力かというと、与えられた仕事を平均的な人より、速く正確にできるというロボット的な能力です。
しかし本当にそれだけなのです。
私はインドで生活していたあとに、日本に戻り一年間勉強して京都の偏差値の高いといわれる大学に入りましたが、
受験勉強というのは、繰り返しによってスキルを上げる事が出来る単なる点取りゲームであることがハッキリわかりました。
入学して、まわりはどんな人なのだろうかと見渡してみましたが、あまりの知識の狭さ、思考の浅さに、びっくりしました。
こういう人たちが、自分たちを優秀な人間だと思いこんで、官僚になっちゃったらやばいんじゃないと正直思いました。
このような単に点をとる能力を特化させた人たちを集めたら、テストで高得点をとるのと同じような行動形態、すなわち目先の利益を追うような行為に走るではないかということが容易に想像されるのです。
いまの官僚の起こした数々の事件を見ていると、まさに軍令部でやっていたことそのもので、これはまずいんじゃないか、、、と思ってしまうのです。
エリート教育でもっとも根本をなさなければならないのは、大局観だと思います。
そしてされに付随する高い倫理性、公共性が必要になってくると思います。
これがなくて能力が高いだけだと、自分たちの利益だけのために奔走するだけの社会悪になってしまうのではないかと思うのです。
このような人を作らないためには、何が必要なのでしょうか。
小さいころから、二宮尊徳などの人間の模範となるような人物や物語を教えること、
そしてもうひとつはスピリチュアルな視点にたった人間観、世界観を教えることではないかと私は思います。
少なくとも臨死体験に関することは、必須事項として教えるべきではないかと思うのです。
人間は誰でも死ぬということ、そして死後どうなる可能があるのかということを視野に入れた、50年、100年というスパンで自らの行為や物事を考える教育をすべきではないかと思うのです。
しかし軍のOBが集まったこの反省会自体も、本来はこれまでの日本のとってきた行動を反省して、今後に生かすためだったにも関わらず、
自分たちの恥部をさらすことになるからと、結局公開されず終わったというのも、なんとも悲しい結末でした。
それは結局、軍令部が自分たちの組織内で閉じていたのと同じ論理ではないかと思うのです。
この番組は現代にも通じる日本人の陥りがちな心性をよく指摘しており、とても為になるものでした。
見ていない方は、是非再放送を見てみることをお勧めします。
「第一回 海軍あって国家なし」だけでも十分です。
必ず、役に立つはずです。
参考:
日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし
日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙
日本海軍 400時間の証言 第三回 戦犯裁判 第二の戦争
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