だいぶ前に図書館に何かの本を返しに行ったときに、本を返したその棚の二段下ぐらいに、
という本の背表紙が目に入りました。私には、その本がうっすらと光を放っているように、周りの本から際立って見えました。
「エッ、自閉症の人がかいた本?」
私はすぐに手に取ってパラパラと見てみました。
著者は外国の女性で、写真を見る限りとてもふつう、というより平均より美人の部類に入る方ではないかと思われる外見でした。
本の内容は、自閉症であった幼少期の自分がどのような意識の世界にいたかをつづったもので、ヨーロッパでベストセラーになった本だと書いてあります。
私はものすごく興味をかきたてられました。
映画レインマンでも描かれているように、自閉症の人は外界とのコミュニケーションがとれないのが一般的で、その内面を自ら文章にするなんて不可能だと思っていたからです。
自閉症である(あった)にも関わらず、それをどうやって自らの体験として文章にし得たのか、
またあのダスティンホフマンが演じているような自閉症の人から見た世界というのはどのようなものなのか、
そしてそれをどのように克服していったのか、ものすごく興味をそそられました。
ハードカバーのその本を開いてみると、かなり小さい字で、ページの二段にわたって文章がつづられています。
うーん、これは読むのはちょっとしんどいかも、、、
と思い、私はその本を書架に戻しました。
そのとき他にも読む本がたくさんあったので、とりあえずそんな本があったということだけ記憶にとどめ、図書館を後にしました。
さて先日「カリノハカセ」さんがウチにいらっしゃったときに、私はその話をふってみました。
するとさすが障害児教育を専門とされているだけあって、すぐに答えが返ってきました。
その本は、自閉症の人が自らの内面を綴った画期的な書で、
それまで「正常」な意識をもったひとたちが、自閉症の人たちを外部からみて書いた本はたくさんあったが、
この本によって自閉症の人の内面が理解されるようになり、自閉症への研究が進んだのだという。
またこの本がきっかけとなって、日本でも自閉症の人たちが本をだすようになったのだそうです。
ああやっぱ、そうだったんだぁ~。背表紙がなんか光って見えたのは、それだけの本だということだったんだぁと妙に納得してしまった。
私は「カリノハカセ」さんのことばの後押しもあって、自分の読む本が一段落した時点で先日借りてきて読んでみました。
凄すぎました。あまりの迫力に、ある時など10時過ぎに風呂に入って読み始めたら、気づくと1時をまわっていました。足の裏がふやけていました(笑)
自閉症児の目を通して、世界がどのように見えているのかがすごくよく伝わってきました。
自分の腕が視界の中の物のように見ていたり、人が話す声は人とは切り離された音声として認識されていたり、
そういう意識のありようがあるのかと、とても驚くことばかりでした。
つづく、、、
参考:
ドナ ウィリアムズ (著), Donna Williams (原著), 河野 万里子 (翻訳)
自閉症だったわたしへ
新潮社 (1993/10)
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