2010年2月12日金曜日

あるがままを聞く ~オーラルヒストリー



先日の爆笑問題のニッポンの教養


FILE101:「政治家が口を開くとき」


というのを放送していました。

登場したゲストは、御厨(みくりや)教授といい、


オーラルヒストリー


というものを専門にしているのだそうです。





オーラルヒストリーとは何ぞや?というと、




人(政治家など)に話しを聞きに行き、その話しを系統的に記述して後世に残すものなのだそうです。


では、それらが政治家自身の自伝や記者が書く記事とどう違うのかというと、




自伝は、自分の書きたいことだけ、自分にとって都合の悪いことは書かないものなのだそうです。(それは分かる気がしますね。)




記者はというと、ネタ取りのために、自分の聞きたいことだけを聞くのだそうです。




それらと対照的に、オーラルヒストリーというのは、その人の語る人生を丸ごと全部聞くのだそうです。


しょっぱなに、教授が

「これは疲れますよぉ」

と語っていたのがとても印象的でした。

人に寄り添って、その人の語りをひたすら聞くというのは、プロフェッショナルといえどもいかにたいへんなのかがよくわかるひとことでした。


ではオーラルヒストリーとはどのように進めていくのかでしょうか。




一か月に一回、二時間聞くのだそうで、それを12回、丸々一年間続けるのだそうです。










季節に合わせてその人の人生を聞いていくのだそうです。

には、その人の小さい頃、若かりし頃のこと、

は、まさに燃え盛る青年、中年期のこと、

は、盛りを過ぎて円熟味が増す頃、

そしてには人生の終盤について聞くのだそうです。


そうやって、一年の季節に合わせてその人の人生を語ってもらうと、




本人も話しやすいのだそうで、このようなリズムはやっているうちに自然にできたのだそうです。




ほんと、まるでカウンセリングですよね。


教授の話しの中で、とても印象に残ったのが次の言葉でした。




相手が話しに詰まって、やたらに言い淀む、しきりに言い換えなどをつかって何かを表現をしようとするときに、




"要するに"こういうことがいいたいんですよね」

とつい言ってしまうのだそうです。しかしこれは、




ダメなのだそうです。

こちらが、自分の言葉で表現してしまうことで、

「えーそーなんですよ」

とかいって相手が安心してしまって、相手の本当に言いたかったことが聞けなくなるのだそうです。






使いまわされた、ありふれた言葉で、相手の言わんとすることをこちらが先回りして言ってしまうと、

せっかく表現しようとしていた言葉は永久にでてこないのだそうです。

従って聞くときは、ひたすら待たなければならないのだそうで、これが大変なのだそうです。

じっと待って、待って、どれだけ我慢できるかが勝負なのだそうです。


つい先日の英会話で、

Don't put your words in my mouth.

という表現がありしまた。

これは、

「そういうことじゃないよ、勝手に解釈しないで」

というときの表現なのだそうですが、

相手の言葉をこちらの口の中に入れられてしまうというのは、言い得て妙だなと感じました。


私たちの普段の会話でも、つい先に進みたくて

「こういうことでしょ」

と助け舟を出すつもりで言ってしまうことが頻繁にあります。

これはこれでいい時もあるかと思いますが、場合によってはオーラルヒストリーの立場のように、

じーっと待って、相手が自分の言葉で表現するのを待つ必要がある場面もあるのかもしれない、、、と思わされました。




「要するに」はオーラルヒストリーではNGのようですね。

普段の会話で、これに気をつけるとどういうことが起こるのか、ちょっと試してみたいですね。


また教授の話しで面白かったのが、




をべらべら話すような人の場合はどうなのかということでしたが、




一年間にわたってずっとウソを付きとおすというのは、難しいのだそうです。

これも深いですね。ウソをつくってエネルギーが要るんですね。



さてオーラルヒストリーという手法は、アメリカに起源があるのだそうです。







アメリカ人というのは、自分のやったことを残して、それを社会に提供して、知識として共有してもらおうとするらしいです。










しかし日本の場合は、自分のしたこと(特に失敗)などは、墓場までもっていって社会で共有しない傾向があるのだそうで、

教授は、それはやめましょうよ、ということでオーラルヒストリーをやっているのだそうです。


確かに、たとえば日本海軍の軍艦が沈むなんて時には、

艦長が「私は船に残ります」といって一緒に沈んでいくのは一見カッコイイかもしれません。

しかしそこでなぜ失敗したのか、何が原因だったのかが、肝心の艦長がいなくなってしまうことで、うやむやで終わってしまいます

結局は責任を取るというよりは、自分の恥をさらしたくない、という動機の方が強いのではないかとおもうのです。

それは結局はエゴであって、社会のため、今後の人類のためになんの役にも立っていません

どこかこれに似たことが、日本の社会のいろんな場面であるのかなと感じました。


私は今回初めて、オーラルヒストリーという学問があることを知りましたが、

こういう物事をオープンにして、みんなで共有していこうとする態度は日本の悪い風習を改めて行くという意味でとても大事であるように感じました。

これはたとえば、江戸時代に和算が盛んに行われて、当時の欧米の数学と比べてもそうとうのレベルにいっていたにもかかわらず、

数学は、学問というよりかは、身内だけに伝えるであるというようなところに固執してしまい、結局普遍性がでてこなかったのと似ていると思います。

知は力なり


という言葉があるように、

今後はオーラルヒストリーのような考え、態度が普及して、

物事をオープンにして、知識や経験をみんなで共有していく風潮が日本の中に定着して行くと面白いなと感じました。



おしまい




参考:

2月15日(月)午後3:15~<総合> 再放送予定
FILE101:「政治家が口を開くとき」

御厨貴さんの著作 〔アマゾン〕




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