2010年2月27日土曜日
心の動き = 気の流れ= 風水
これこれのアイテムをどこそこに置くと、運気がアップするなんていうのがありますが、おそらくこれはある程度は理にかなったことだと思います。
風水は東西南北の方角と部屋の位置などをどのようにしたらいいかといったことを教えるものですが、
そういうことを知らなくても、例えば南側をすべて壁にして日の光が部屋の中に入らないようにして、
食卓のすぐ横にトイレを配するなど、誰でもやりたくないと思うような配置にすることを想像してみれば、
そんな家に住みたいと思わない、つまりそういうものが日常生活の足を引っ張ることになるだろうことがわかります。
したがって、伝統的にこうした方がいいといわれていることは、
一般に多くの人が、そうすると心地よくなる、としたものを体系化したものであって単なる迷信、世迷言ではないと思います。
しかし逆に風水でこうするのがいいと言われているからと、それに縛られてしまって、
そこにいる人たちの心の動きを見ないというのは甚だ間違ったことだと思います。
おそらく基本は風水で伝統的にいいといわれるものを参考にしながらも、
自分、あるいはそこにいる人たちがどう感じているのか、どうすると気持ちがよくなるのか、心の流れが良くなるのか、
こういったことに注意しながら、自分たちにあった風水的な配置を発見していくことが大切なのかなと思います。
これは夢判断にも通ずるものがあると思います。
例えば夢判断といえばフロイトですが、20世紀初頭のオーストリアの人たちと現代日本に住む私たちの状況は大きく異なります。
したがって、夢であるテーマがでてきたとしても、それはフロイトの時代の性の抑圧が強かった時代にはフロイト流の解釈で合っていたかもしれませんが、
それが現代日本に必ずしもあてはまるわけではありません。
それは個についても言えて、
犬が大好きな人と、小さいころに犬に噛まれたことのある人が夢で犬を見たときにそれぞれに意味することが違うのと同じです。
それは各個人で考えなければならないテーマです。
しかしそれとは別にユングのいうような人類に共通する”原型”〔アーキタイプ〕みたいなものもあると思います。
おそらく風水として体系化されたものは、大多数の人に通ずる原理を体系化したもの、つまりをある程度の普遍性もつものだと考えられます。
もう一点、風水はモノを外界にどう配置するかという点でより客観性があるように思いますが、
見る人との関係性が重要であるという点では夢と共通するように思います。
たとえば植物を部屋においてみると、雰囲” 気”がガラッと変わったりします。
それは植物の持っているエネルギーみたいなものも当然あるのでしょうが、植物が置いてあるその部屋を見る人の心が動くからだろうと思います。
見る人が、そこに植物があるのはいいなぁ~と感じるとき、” いい気”が流れているということになるのでしょうか。
つまり風水というのは、客観的なものではなく、関係の科学なのだと思います。そしてそれは普遍的な要素と、個人的な要素の両方があると思います。
犬が嫌いな人が、運気がアップするといわれたからと部屋に犬の写真を貼ってみたところで、運気は下がるでしょう。
あと例えばこういう色の服を着るといいというのもありますが、
前に脳トレのところで触れたように、脳トレを始めた年配の人たちは、それまで地味だった服の色がカラフルになってくるというのがあるように、
おそらく心が浮き立ったときに好まれる色・形というのがあって、
それは逆にそのような外見にすることで、そこにいる人の心を高揚させるという働きがあると思われます。
こうすると心地いい、気持ちが良くなるという感覚を体系化したのが風水だと思います。
したがって、こうしたら運気がアップするといわれるものは当然参考にしたらいいと思いますが、それらを頭から信じこんでしまうのではなく、
基本は自分がどう感じるかを軸において、色々自分にとって心地いいカタチを模索していくこと、自ら確かめていくこと、
これが大事なポイントなのかなと思います。
では気とは一体なんなのでしょう。
私は気には狭義の気と広義の気があると思います。
狭義の気とは、精神(心)と物質(体)の中間的なエネルギーで、物質ほど確かさはないものの、心よりは実感できるものです。
仏教では、身口意の三業(しんくいのさんごう)という言い方があり、顕教(小乗・大乗)においては、体と言葉と心の働きをさしますが、
密教やゾクチェンのレベルになると、口(く)のレベルとは、単なる言葉ではなく、
精神と物質の間のエネルギーを意味し、それは言葉を発する時に空気が必要なように、身体のレベルでは呼吸と関わり、
心のレベルでは感情と密接に関連しているとされます。感情が動くとき、呼吸が激しくなるのは誰でもが経験することで、そのときに気が働らいていると考えられます。
日本語の"気が立っている"なんていう表現はまさにこれに当たるかと思います。
チベット語ではルン(風)といいますが、これはほぼ東洋における気と同じと考えていいと思います。
気は、心の側面から言えば、より物質に働きかけのある”念”というレベルと関連があり、
物質的な側面から言えば、素粒子のレベル、あるいは電磁波と関係しているのではないかと思います。
エレクトロンのことを電子、電子の動きを電” 気”というのは興味深いところです。
以上をまとめると、
◎物質(身体)
↑↓
〔素粒子・電気・呼吸〕
↑↓
◎気(口、ルン)
↑↓
〔感情・念〕
↑↓
◎精神(意・心)
となっているのではないかと思います。
では広義の気は何かといえば、森羅万象すべてということになります。
つまりあらゆる現象は一如であり、気の精粗によってすべてのものが成り立っているとする考えです。
気の粗いものが物質であり、気の細やかなレベルが心と考えるものです。
日本語で気といった場合は、
どうも心のレベルから狭義の気、すなわち口(く)、ルンのレベルを含んだものをおおざっぱに気と呼んで使っているように思います。
いずれにしても、
気の流れ= 心の動き
と密接に関連しているので、風水的な配置によって運気をアップさせたいと思うなら、伝統的に言われていることを参考にしながらも、
自分で確かめること、自らの感覚を研ぎ澄まし、自らの心の動きに敏感であること、これが大切なポイントなのであって、
人から言われたこと、本に書いてあることを単純にそのまま自分にあてはめてもどうなのかなと思います。
逆に、風水などは一切信じないという人も、
なんかイマイチ調子が出ないというときに、伝統的に風水で良いとされているものを一度試してみるというのもアリかなと思います。
おしまい
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