地球上の生物は、今から15億年ほど前まですべて不老不死だったそうです。
子孫は自らの単純なコピー、すなわち分裂によって自らとまったく同じ個体を生じさせていたそうです。(無性生殖)
しかし15億年ほど前に、性の違いによって次の世代の遺伝子に違いをもたせる戦略をとる生物が生まれたのだそうです。(有性生殖)
ひとつの遺伝子パターンのみであった場合、何かの病原菌や環境の変化によってその種が一気に絶滅してしまう可能性が有りますが、
遺伝子に多様性をもたせることで、そのようなリスクを回避しようとしたそうなのです。
そして性が生まれた事によって、遺伝子に死が組み込まれるようになったのだそうです。
つまり個の不老不死と引き換えに遺伝子の多様性という戦略を選択し、遺伝子を伝えた個は死ぬことになったということだそうです。
つまり長生きするとその間に遺伝子は傷ついてくるので、その遺伝子をもつ個体に寿命を設けたのではないとのことでした。
田沼氏の話によると、現在の多くの生物が有性生殖をとっているということは、
無性生殖よりも環境への適応と生存に関して有利だったのではないかとのことでした。
アポトーシスは、傷ついた遺伝子を消去することが目的ですが、
死によって生が維持されるという逆説的なシステムをとったということになります。
ここでもう一度アポトーシスの仕組みをみてみましょう。
このように、細胞内に前もって死がプログラムさせれているというアポトーシスの死生観は、
生物学を超えて様々な分野に影響を与えているそうです。
その一つが死生学で、
番組内で紹介された竹内整一氏は次のようにおっしゃっていました。
近現代の考えでは、今日より明日という進歩・発展に価値をおく考えできたので、
その価値にそぐわない死や老いは置き去りにされてきました。
しかしアポトーシスの死生観、すなわち死はすでにプログラムされており、
死によって生が維持されているというのは、日本の徒然草の思想にちかいのではないかとのことでした。
徒然(つれづれ)とは、基本的に今やりたい事をやるという意味だそうです。
アポトーシス、すなわち死がすでに生にプログラムされているということが示しているのは、
今日より明日ではなく、
今、ここを大事にするという生き方なのではないか、
とおっしゃっていました。
個体を構成するひとつひとつの細胞に死がプログラムされており、その集まりである個体にも寿命があります。
また人間という種にもいつか終りがあり、そして地上で生まれた生物、さらには今回のビックバンで生まれた全宇宙の生物にもいつか終焉がくるのでしょう。
そう考えてみると、今日より明日、明日よりあさって、という価値を常に先送りにする思考はとても空しく思えてきます。
しかし今やりたい事だけをやるというのでは、現実にこの体をもって生きていくには不可能なことです。
仏教的にいうと、心が未来への希望や心配ごと、過去への後悔やノスタルジーにながされ、とらわれるのではなく、
心を今、ここに住するようにするというのが、最大の目標であります。
ということは、未来に対する長期的な計画をもち、時に過去を思い返しながらも、基本は今を楽しみ、今を味わうということなのかという気がします。
このバランスがどちらに傾きすぎても心の平安は得られないのではないか、とそんな気がするのであります。
つづく、、、 のかな?
参考:
アマゾン
竹内整一氏の著作
田沼靖一氏の著作
徒然草 全訳注 講談社学術文庫 三木紀人
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