かつてキプロスにダスカロス(1912-1995)と呼ばれる数々の奇跡的な治療を行ったヒーラーがいたそうです。
治療に対して決してお金は受け取らず、また取材などの申し込みも一切受け付けなかったそうです。
ひとつには、治療は自分がおこなっているのではなく、自分は単に通路となっているだけだという思いがあったからのようです。
彼は自らのすべての過去生を覚えており、その時の言語も話せたそうです。
その過去生のうちのひとつでキリストの最年少の弟子だった事があるそうで、
驚くべき事にダスカロスは七歳にして学校の先生たちを相手に、「霊的な真理」を教え始めたといいいます。
本に載っていた写真を見ると、どこにでもいそうなごくごく普通のおじさんという感じでした↓。
http://www.daskalos.jp/201researcher/index.html
私は彼の著作を一冊読んでみました↓
エソテリック・プラクティス―キリストが遺した瞑想法とエクササイズ
色々な瞑想法などが紹介されていましたが、私が一番印象に残ったのは、
彼がもっとも重視した事の一つ「内省」でした。
これは寝る前に、心を落ち着かせてから
その日朝起きてから夜寝るまでの一日の出来事を思い浮かべ、
自分がすべきだったこと、すべきでなかったことに思いを致すというもので、
そこで反省すべき点があったら、今後改善していくというものです。
私はこれを読んだ時に、臨死体験者ダニオン・ブリンクリー氏の最新刊に書いてあった
人生回想(ライフ・レヴュー)の活用法を思い出しました。
彼によるとやはり寝る前に、臨死体験ですべての人生を回想するように、
その日一日の出来事を思い浮かべて、反省すべき点があったら改善していくようにするというものです。
実際の臨死体験における人生回想は、すぐそこで自分がやっていることを見ているにもかかわらず、
やるべきでなかったことを修正できない事がとても歯がゆく感じのだそうです。
そういう意味で、生きているうちに、そのような人生回想的な視点をもって、
自らの生き方を変えていけるとというのは、とても貴重なことなのだそうです。
ダスカロス氏の「内省」に関しては、HPをご覧ください。
http://www.daskalos.jp/301lesson/index.html
ダニオン氏の人生回想に関しては、「The Secrets of the Light」 の17章の全訳を下に載せておきますので、興味のある方は読んでみてください。
おしまい
参考:
ダスカロス公式ホームページ
http://www.daskalos.jp/index.html
パノラマ的人生回想
肉体から光の体へ戻る瞬間、三次元の世界に私たちを結び付けている銀色の線(シルバー・コード)が切断される。その線が切れると、魂は解放され、ふたたび自由となる。
しかしその先にはまだ、私たちがこの世からあの世へと、残りのステップをうまく移行していくための愛情あふれる儀式が存在する。
体を出て、トンネルを抜けるのは、そう大変なことではない。しかしトンネルの終わりで光に到達すると、まったく新しいゲームが展開される。
第七の真実は次のようなものであった。
「私たちがこの世に来たのは、独自なる神の御印としてである。この神の御印がどのように、そしてなぜ私たちの独自なる運命なのか、このことに対する理解のみを私たちは次の世界へ持ち込むことができる。」
これが真実であると私にはわかっている。しかしこの世を離れ、あの世へと旅立つ魂の多くは、彼らがもっている独自なる神聖さを、意識的に理解できているわけではない。ここで、パノラマ的人生回想が生じるのである。
パノラマ的人生回想が行われる時、あなたは360度のパノラマ映像で、文字どおり人生を‘生き直す’。信じられないほどの細部の細かさで、起こったすべての出来事を見る。
たとえば、出産であなたを取りあげた医師の鼻に何本の鼻毛があったかを数える事ができる。また、あなたが6歳のころ、庭で泥まみれになって遊んでいたときに、そこにあった木に何枚の葉がついていたかを数えることだってできるのだ。文字どおり、すべてを生き直すのである。
次に、人生を相手の視点に立って見る。私たちは社会の中で、相手に思いやりを持って接するように教えられる。しかしあの世で相手の立場に立つ視点は、その人そのものになって感じるのであって、共感するのではない。
そのあと、あなたはまさに、人生で遭遇したすべての人に‘なる’のである。その人間になって感じたことを体験し、あなたと相手の間に生じたダイレクトな結果を感じることになる。
私が最初のパノラマ的人生回想を体験した時には、自分が身体的、感情的に傷つけた人びとにならなければならかった。私は自分が与えたどんな小さなダメージもすべて自分で体験しなければならなかった。
しかし次の二回目の回想においては、私が最後を看取ったホスピスの患者さんたちの大きな感謝と平和な気持ちを体験する事ができた。
あなたはそこで審判がどのように執り行われるか知っているだろうか?どうなるか想像してみてほしい。あなたがパノラマ的人生回想をしているとき、審判を下しているのはあなたなのである。そして覚えておいて欲しいのは、あなたこそが、いままで出会った中でもっとも厳しい判事となるのだ!
また大事なことは、この審判にはいかなる罰も伴わないということである。いったん人生回想を体験し、もっと違うふうに行動できたかもしれないと考えることで審判を下すと、それで終わりとなる。
そしてすぐに、すべての罪、悲しみ、後悔の記憶から解放される。最後の分析をする中で、過ぎ去った人生の中のごくわずかな事柄が重要なこととして残る。
その重要なこととは、あなたの犯した過ちではない。スピリットにとって重要なことは、愛、やさしさ、思いやりの気持ちをもって、どれだけ多く進んで他者を助けようとしたかである。
あなたの与えた愛、そして潜在的に他者に行きわたった愛が、あなたの独自なる神の御印である。あなたが去った後もこの世に残るのは愛であり、愛だけが、神の意識の拡大に対する貢献として故郷に携えていくことのできるものである。この世とあの世の両方において真実なるものは、愛のみである。
他者の人生に変化をもたらすことは、私たち人間的存在としての霊的基本事項である。他者を愛に目覚めさせ、夢を持つように勇気づけ、希望をもち続けるよう援助をすることは、すべての功績のなかでももっとも祝福されるものである。
ささいな、自然にでた思いやりの行為は、スピリットに最高の印象を与える。知らない人にほほ笑みかけ、落ち込んでいる友人の背中を優しくたたいてあげ、また恵まれない人に食事をご馳走してあげること―こうした諸々の行いが、思いやりある行為の真の御印として刻まれるのである。
この無垢なる美徳の境地に基づいて生き、愛せるようになることがゴールであり、私たちすべてはそれを人生の指針とすべきである。
心を無私のエネルギーに同調させる時、私たちは究極のゴールを達成しつつある。そうしていくことによって、霊的な意識レベルを上げ、私たちは天国のより高次のレベルへ行けるようになる。
この世に於いて自然にでる思いやりの瞬間が多くなるにつれて、あの世へついたときに住する意識のレベルもより高いものとなる。
パノラマ的人生回想は、霊的な成長の度合いを測るための公正な道具とし働き、私たちが再び天国に入ったときの意識の出発点を決定する。
自らパノラマ的人生回想を体験し、とても興味深く思えることは、人生回想が様々な点において、この世での人生を豊かにしうるということである。
天国での人生回想と同じチェック項目とバランスの観点をつねに作動させることで、私たちは自分自身を益するような力強い生き方をするができる。
人生回想の働きに関する完全な知識をもつことで、私たちは日々、自らの運命に磨きをかけていくことができる。
人生回想といういつでも使うことのできる宇宙的な測定装置は、私たちに与えられている最高の贈り物であるが、実際に使うための知恵をもっていなければ意味をなさない。
私はあなた方に、日常生活のなかにおいて、愛を発展させ、喜びを分かち合えるような状況を意識的に求めてみることをお勧めする。
自然環境を守り育む、地球の保護者あるいは管理人として自分を想像してみなさい。捨てられたペットを保護してあげなさい。毎週、ボランティアのための時間をつくりなさい。
こういったことは、私たちが意識的に出来るちょっとした愛の行為のうちのほんのいくつかの例に過ぎない。しかしこのような行為こそが、私たちを取り囲むあらゆる意識レベルに対して、もっともポジティヴで肯定的な影響を与えるのである。
あなたの高次なる意識は、あなたがこのようなパノラマ的人生回想に関する知識を知るように導いてきたのであり、あなたは大いなるギフトを受け取ったことになる。
よって、今やあなたは責任を負っている。というのも多くを与えられた者には、それだけ多くのことが期待されるからである。
この観点からすると、私たちの霊的な責任とは、全体のより大きな利益のために、パノラマ的人生回想の視点を日常生活のなかに、たえず、賢明に取り入れることにある。
心に留めておいてほしいのは、あの世において、あなたはそれまでに愛し、あるいは傷つけたすべての人間に‘なる’ということである。
このことを知った上で、自分の人生の中で出会う人々、動物、あるいは植物や自らの所有物に対して、あなたの接し方はどのように変わっていくだろうか?
私たちすべては、このことについてもう少し真剣に考えてみる必要がある。宇宙においては、記録されない思考、言葉、行為というものは存在しない。
それ故、人生の物語を記録したDVDを見ることになる以前に、私たちは愛の気持ち、開いた心から行為をする必要がある。
人生回想の視点を日常生活の中で生かすことには、もう一つの利点がある。それは、霊的に停滞してしまっているブルー・グレーの領域を回避できるという点にある。
長年にわたって、私は二つの世界の間にあるこの不毛な領域に固着してしまっていた。自分がブルー・グレーの町へ直行するスーパーハイウェイを建設しつつあったと気づいたときは、さすがに恐怖を感じた。
そのハイウェイの一マイル一マイルは、まさに自らの無関心、反感、皮肉によって作られていた。今や私は、かつて自分自身に対して何をしていたかを理解しており、あなたが同じ間違いをしないよう、私はできる限りのことをしたいと感じている。
ブルー・グレーの領域は不毛なる中間状態であり、必ず避けることができる。毎日の人生回想を実践することで、私たちは、自分たちの精神的、肉体的な行為が、アストラル界における自らの霊的な進歩に対してどのような影響を与えるかをチェックし、バランスをとることができる。
このようにして、私たちはあの世でブルー・グレーの虚無にとらわれるという一切の恐れを取り除くことができる。
自らの思考、言葉、行為をしっかりと意識し、それらが私たちの周りのすべての生命エネルギーに対して如何なる影響を与えるかに注意することによって、私たちは日々着実に内なる神聖さへ近づいていくことができる。
このような簡単な方法において、私たちは天国と地上の結びつきを作り出すことができるのである。
私がホスピスの仕事をしている主な理由はこの点にある。ホスピスでの仕事は、物質的な形態をとった神聖な愛の行為であるといえる。
私は、あたかも自分が神聖なる存在になったかのように、自分の力と勇気の限りを与える。ベッドサイドにおいて、私は死につつある人を守り、安心させるための行動をとる。
彼らは決してひとりでないことを確信させてあげる。もし可能なら、彼らを導いて人生回想をさせ、彼らの心を開き、差し迫った移行の恐怖を取り除いてあげる。
私はベッドサイドにおいてこの世に変化をもたらしている。それは、この世を去ろうとしている人のためだけでなく、残される家族のためでもある。
私は自らのパノラマ的人生回想によって、ホスピスという仕事が、神聖さを表現するための自分にあった方法であることを知った。
人生回想を、毎日のスピリチュアルな練習予定に組み入れることによって、あの世でやるのと同じか、あるいはそれ以上の洞察がもたらされることだろう。
それでは、毎日の人生回想のやり方を見ていこう。人生回想の練習にもっとも適しているのは、寝る直前の短い時間である。
私はやる前に必ず就寝の準備を整えておく。というのも回想をしていると眠くなり、そのまま深い眠りへ誘われてしまうことが多いからである。
回想に適した雰囲気を醸し出すために、私は天国的なリズムをもったニューエイジ・ミュージックをかける。
他にも、やわらかいロウソクの光とラベンダーの香りのアロマテラピーを使うのが私の好みである。もちろん、あなたはこういったくつろいだ雰囲気をつくりだすための小道具を用いたくないと思うかもしれない。これは完全に個人の好みの問題である。
(もしあなたも、私が妻に言われるようなADHD(多動障害)であるなら、少なくとも集中できるようにその二つを試してみると良い。)
次に、私はたいてい二、三の軽いストレッチをする。瞑想をする前のように、混乱した心をクリア-にする事が重要であり、意識的に深呼吸をしてみるのも役に立つ。さてこれで夜の人生回想をはじめる準備ができた。
1) その日一日に思いを巡らし、あなたが親切を施したと思われる出来事を思い浮かぶままに回想する。(たとえば、誰かのためにドアを開けてあげたか、次の車のためにパーキングメーターに少し余計にお金をいれただろうか?)
2) 一日のなかで、他の誰かがあなたの人生に恩恵をもたらしてくれたような出来事を思い浮かべる。その人に感謝の念を送り、ゆったりと深呼吸をする。あなたは今や、スピリチュアルな認識能力を発動させ、高い次元からこの世へと神聖な流れをもたらしたのである。
3) あなたがもっと違うふうにできたと感じる出来事を評価する。相手の立場に自らをおいて、彼らの視点を理解する。もし必要なら自分を許し、その状況を光で包む。そして必要な償いをすると誓いなさい。
4) お祈り(あなたの気持ちを込めた、意識的な心の企て)をし、そして寝る。
5) 朝まずやる事は、自分に与えられている素晴らしい点を数えあげること!意識が感謝に満たされた状態にあることで、あなたのまわりに磁場的な振動が形成され、その日一日をとおしてより多くの恵みをひきつけるのである。
私はまた、「やること」リストを作っておくと、ものごとが順調に運ぶことに気づいた。これは、妻が私のために書いてくれるリストから思いついたのであるが、いずれにしても効果はある。
私たちの心は、他者を助けるための機会を探す訓練が必要である。その目標に向けて、私たちが達成したいと思う毎日のリストをつくっておくと、たいへん役に立つ。
日常生活におけるスピリチュアルな側面は、私たち自身や私たちの住む世界を物質的に維持するのと同じぐらい重要なことである。
毎日、人生回想のための練習時間をとることによって、より高次なる領域とのつながりが強められ、また人生に、想像を絶する美と喜びの流れがもたらされる。
「類は友を呼ぶ」という不変なる宇宙の法則は、毎日、毎分はたらいている。私たちは常に人々や環境を、個人の現実へと引き寄せている。
そしてその個人の現実とは、私たちが発する想念や愛のエネルギーに基づいて形成されている。この作用は、反対のネガティヴなエネルギーに関しても同様である。
これらの種々のエネルギーが、私たちの全人生のなかで蓄積されてゆくのである。そして移行の過程において、私たちはパノラマ的人生回想によって、実際にそれらが生みだした因果の様子に直面させられるのである。
真実の瞬間が訪れた時、私たちの回想する人生は、すべての霊的な進化のために尽くした煌(きらめ)くばかりの人生の断片で満たされていることだろう。私たちはこのことを確認した上で、今日一日を始めるとよい。
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