2009年7月8日水曜日

祖母逝く



父方の祖母が亡くなりました。95歳でした。

私と祖母は妙に気が合うところがあったので、よく一緒にいろいろな所にいきました。

近場では、家の近くの私のお気に入りの森林公園に梅や桜を見に行ったり、

まだサボテン園があった真鶴(マナヅル)を訪れ、

半島中を歩きまわり、ほどよく疲れた後に美味しい地元の鮮魚定食に舌鼓をうち、祖母の好きだった日本酒で一杯やったり、

丹沢の山に登っては、帰りがけに温泉につかったりしました。


私の学生時代は、一緒に四国の四万十川を見に行ったり、種子島屋久島をめぐったりしました。

屋久島では半日かけて線路の山道を延々と登り、縄文杉を見てきました。

祖母は当時80代で、周りの人はその年を聞いて一様に驚いていました。

(若者でもそうとうたいへんな山道でしたから)


祖母は当時の人としては珍しく、お茶の水を出ているインテリではありましたが、

どちらかというとアウトドア派で、歩くのをまったく苦にしない人でした。

若いうちから歩きまわっていたからなのか、年をとっても足腰はかなりしっかりしていて、

晩年も夕方は、一時間程海岸沿いを散歩していたそうです。


私と旅の道中などでは、祖母の若いころの話し、戦時中の話しなどをいろいろと聞きました。

あなたのお父さん背負って米軍の戦闘機の機銃掃射の中を走って逃げた話など、いまでは想像もつかない体験を色々聞かせてくれました。

代わりと言ってはなんですが、私は仏教の話し、臨死体験の話しなどをして、死んでも意識は続くみたいよ、、なんてことを話していました。

チベット死者の書で説かれている死の過程と臨死体験者が向こうの世界で体験したことが似ている話などをしたときは、かなり興味をもったようで、

自分で仏教関係の本などを買って、家で読んでいたようでした。


じゃあ、さー、もしおばあちゃん死んだら、やっぱ死んでも魂は残るってことを知らせに夢枕にたってくれないかなぁー、とふざけ半分に話していました。

祖母は、ああ、わかった、わかった、覚えていたらねぇーと笑って言っていました。

このたび祖母が亡くなったのは朝早くだったので夢枕には立ちませんでしたが(これから立つかもしれませんが)、

亡くなったと連絡を受けてから少し経って自分の寝室にふとんをかたずけに行くと、祖母がつけていた香水の匂いが部屋に漂っていました。

ああ、やっぱ来てくれたんだろうか、、

私は少しうれしくなりました。

こっちのことはもういいから、ちゃんと光に向かってまっすぐ歩いていってね、と念じました。

私が話した事が、死に際して何がしか役に立っていたらいいなぁ、、、と思ったのでありました。



合掌





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