2009年7月6日月曜日

生物の多様性〔4〕:映画『ガタカ』から考える




先日ガタカという映画を久しぶりにみました。




もう10年以上前の映画で知っている人も多いと思うので、簡単に内容を紹介します。

そう遠くない未来の世界において、

子供は受精卵の時点で、両親のもっとも「良い」とされる遺伝子の選択をうけて生まれます。

そうすることで先天的な障害や将来かかりうる病気を避け、知能指数が高く、あるいは運動能力にすぐれた子供が生まれるのです。


そんななか、主人公はそのような操作が行われない自然な受精によって生まれました。

このような子供をその時代においては、ゴッドチャイルドと呼ぶのだそうです。

ゴッドチャイルドである主人公は、どんなに頭脳がすぐれ、どんなに努力しても、

入社の際の遺伝子検査によってゴッドチャイルドである事が分かってしまうので、自分のつきたい仕事にはつけないのです。

そのような遺伝子による差別が公然と行われている社会において、

主人公は、ある裏の情報によって、極めて優秀な遺伝子を持ちながら、交通事故によって半身不随となった人物と取引をし、

その人物になりすまして、宇宙飛行士になるべく、その養成機関であるガタカに入社します。


血液検査、尿検査などでもつねに優秀な遺伝子をもつ人物のものを携帯して、パスしていたのですが、

ある事件をきっかけに一部の人たちに自分がゴッドチャイルドであることがバレてしまうのです。

その後どう展開するかがこの映画のひとつの見どころなのでこれ以上書きませんが、

このそう遠くない未来で行われている受精の時点における人間の選択は、

実はもうすでにアメリカなどで行われている事なのです。


そうすることで、先天的な障害や将来かかりうる疾患などを避け、「優秀」な能力を備えた子供をもつことができるのです。

しかし、これはあまりに安易すぎないかと思うのです。


前にアポトーシスのところでみたように、生物は不老不死と引き換えに多様性を選択しました。

つまり多様性こそ、人類が存続していく上での強みなのです。

しかしそれを目先の利益によって遺伝子をコントロールし、人間の中の多様性をなくすことは、

自分たちだけ良ければよいというある種のエゴであるとともに、

有性生殖をする生物が生き残りのためにとってきた戦略に逆行するもので、

人類の先行きを危うくしているように思います。


また地球上でも生物の多様性が急速に失われてきている現状を考え合わせると、

これはとても危機的な状況にあると見た方がいいのではないかと思うのです。


映画では、ゴッドチャイルドで知能的にも体力的にも劣る主人公は、

「優秀な」遺伝子をもつ人物たちが集うガタカのなかにおいても、超人的な努力により優秀な成績をおさめ、自らの夢を実現させます。

私が思うに、人間の優劣は、身体の完全さや、知能指数や運動能力などだけではなく、

むしろ欠けている部分があるからこそ、別の能力が飛躍的に発揮されるということがあるように思います。

先日の盲目のピアニストの辻井さんの演奏を聴いても、

多くの解説者は「目が見えないのに~」といういい方をされていましたが、

私は「目が見えないからこそ、あのような光が交差するような美しい旋律を奏でる事が出来る」といえるような気がするのです。

かつてナチスはユダヤ人やジプシーを大虐殺しましたが、同様に優秀な人種を生み出すために、精神障害者や身体障害者をも一掃しました。

「良い」遺伝子を選択して子供を作るというのは、このナチスの思想と基本は同じであるように思います。

しかしそのような良かれと思ってやった画一性の傾向が進んだ社会は、案外もろく崩れ去るような気がします。


私は欠けているからこそ素晴らしい能力を発揮するということが十分にあると思うし、

またその能力の発現というのが必ずしも目に見える形で誰にでも評価されるものであらわれるとは限らないように思うのです。


私が小学生のころ、知的障害をもった双子の姉妹をよく見かけました。

通りなどでも大きな声で話しあっていたりして、子供心にふつうの人ではないなと感じていました。

最近、図書館にいくと、その姉妹をよく見かけるのです。

頭に少し白髪も交じっていて、相変わらず大きな声で話しているのですが、

屈託のない笑顔を浮かべ、なにかその姉妹がいるところだけ周りとちがってパッと明るい感じがするのです。

借りている本を見ると、絵本や紙芝居のようでしたが、

その姉妹が本を借りる番になると、受付の人たちの表情や声が自然とやさしくなり、またそれを見ている人たちの顔もなぜかほころんでいるのです。

盲目のピアニストの辻井さんのように、世界的な名声を勝ち取るようなケースは極めてまれでしょうが、

このように知らず知らずのうちにまわりに良い影響を与えているひとって相当いると思うのです。

私は、社会にしろ、環境にしろ多様性を受け入れ、それを育む事がひとつの目標であり、それが結局は自分たちに帰ってくるという気がします。


さてさいごに映画の話しに戻りますが、

今回人に指摘されてはじめて気付いたのですが、エンディングが自分が思っていた(思いこんでいたもの)とまったく逆であった事に衝撃を受けました。

映画の最後で、主人公の姿と、優秀な遺伝子をもつ半身不随の人物の姿がパラレルに描かれているのですが、

半身不随の人物がゴッドチャイルドである主人公に勇気をもらって旅に出るというのが、

自分が思いこんでいたのとまったく逆の意味の旅立ちだったので、そのあまりのギャップにショックを受けました。


もし観ていない方、また一度見ていてもストーリーを忘れてしまった方、ぜひもう一度何かの機会に観てみてください。

新しい発見があるかもしれませんよ。





参考:

GOO映画:ガタカ
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD30818/




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