2009年7月13日月曜日

お酒



祖母の葬式の後の会食で久しぶりにお酒を飲みました。

お酒を飲むと、その時は楽しくなりますが、あとで体はぐったりとし、思考も鈍くなるのでトータルで見るとあまり得した気がしません

アルコールは基本的に人体にとっては毒なので、水分をたくさんとらせて体から毒を輩出しようと一所懸命になっているのがよくわかります。

脳細胞もそうとう壊れるのではないかという気がします。

でなかったら子どもに飲ませても全然OKな筈だし、アルコール中毒の人の言動があそこまでくずれているはずがありません。

楽しい気持ちになるには、それなりの努力をして、それを達成したときに得る喜びはいいと思うのですが、

酒や薬を飲んだりして安易に楽しい気持ちになるのは、あとに何かしらのツケを払わされるので、

借金をして一時的な享楽にふけっているような気がして私はあまり好きではありません。

前に 糖尿病 ≪前編≫ で私が京都の旅館でアルバイトをしていたときに、

宴会にやってくる人たちが使った後のトイレに立ちこめる独特の甘い臭いについて書きましたが、

アルコールは脳へのダメージとともに、糖尿病のリスクをも高め、ひどい場合は手足の切断、失明につながります。


こういう諸々の事を考えて、私は普段お酒は飲みません。

お酒は、お祝いの席や、こういう集まりのときなどに飲む程度にしています。

その方がお酒のおいしさも味わえるし、意識の状態の違いもしっかり把握できるように思います。


飲酒に関しては、ふだんまったく飲まないか、度を超えて飲んでしまうか、の両極に分かれるように思います。

休肝日を設けながら適度に飲めるという人はほとんどいないのではないかという気がします。

というのも普段飲まない人は、別に飲まなくてもまったく欲しいとも思いませんが、

毎日飲む人は、飲まずにはいられなくなるし、もう少し飲もうかな、とずるずるっとその量が増えてしまう傾向にあり、

そこを適量に抑えるというのは毎回相当な意志の力を要するように思います。

しかも体もアルコールに慣れてくるので、気持ち良くなるための量が次第に増えていきます。

こういったことをトータルで見てみると、タバコと同じで初めから飲まないようにするのがベストだなという気がします。


ひとは頻繁に、他者に自分のイメージを投射することで満足を得ようとしますが、

若いうちにこのことに気づいていれば、大人っぽく見られたいために無理にタバコを吸ってみたり、酒を飲んでみたりしてアピールする必要もなく、

将来にわたってタバコやお酒に煩わされることもなくなるのですが、

そういう本質的なことに気づいていて、教えてくれる大人は少ないように思います。

(というのも当の大人たちが、そういう満足の型をもっていて、演じていること、とらわれていること自体に気づいていないから)


お酒を飲むと、理性のタガが外れてしまいがちですが、酒による失敗というのは昔からあったようで、

武士は死ぬ事と見つけたりの『葉隠』にもそんな記述がみられます。







江戸時代にも、酒を飲んでつい羽目をはずしてしまい、やってしまった、、

というということがあったのでしょうね。


つづく、、、



参考:

黒鉄ヒロシ『マンガ日本の古典 26 葉隠』中央公論社 1995

和辻哲郎校訂 古川哲史校訂『葉隠 上・中・下(岩波文庫)』岩波書店 1982


武士は死ぬ事と見つけたり↓


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