2009年7月19日日曜日
アジアの中の日本
最近この本を読みました↑
私は以前から、アジアの中にある日本が、他のアジアの国々とどうちがうのか、どのような特徴をもっているのかと疑問を持ってきました。
というのも、日本と西欧の違いというのはとても際立っていますが、アジアは色々な意味で近すぎてよく分からないとうのが実感でした。
またアジアの近隣諸国が、かつて日本が侵略していったにもかかわらず、若い世代などでは日本ブームになっていたり、
また中国や韓国の振舞いに理解に苦しむものがあったりして、これはいったいどうなっているんだ?と常々疑問に思ってきたからです。
アジアの近隣諸国との違いを知ることは、また日本人として育ってきた自分を知ることにつながるのではないかとも思うのです。
つまり日本人として育ってきた中で、あたりまえと思ってきたことが、実はそうでないということに気づかされることがあるのではないか、とそんな気がしていました。
本書は、中国、台湾、韓国から日本に帰化した3人の知識人による鼎談で、それぞれの国の実情と、それぞれの国の立場から見た日本が語られていて、とても面白かったです。
結論からいうと、日本はアジアの中において、色々な意味でまあまあバランス良く、いい感じなのではないかという気がしました。
また他の国々は、日本であたりまと思っていたことがそうではないことが多く、かなり不自由かつ情報が制限されていて、ある意味洗脳に近い事が行われているのかなと感じました。
本の内容は以下のような項目でした↓
以下、上の目次の内容に沿って、私が感じた事を書いてみたいと思います。
◎マスコミ
3人の著者の方々の国では、マスコミが自分の国を批判することはタブーだそうで、
日本のマスコミが政権の批判を自由にしているというのが驚きだったそうです。
またそれぞれの国のマスコミのほとんどが情報操作をされていて、公平な報道がなされないのが当たり前だそうです。
アジアに民主主義が浸透しつつあるといっても、言論の自由が保証されていず、民主主義といってもその形態はさまざまなんだなと思わされました。
また日本のマスコミは、彼らからするとかなり自虐的で、日本が悪い、日本が悪かったという姿勢に傾きがちであるそうです。
また報道の仕方が、他の国々とみんな仲良くしましょうという雰囲気を醸し出しているそうで、
そういう意味で少し現実の認識とずれているのではないか、と指摘されていました。
これはとても日本っぽくて、面白いと感じました。
同時に、日本の外交はもっとしたたかであるべきだと言われていましたが、
これは和を重んじ、お人よしすぎる日本人の性なのでしょう。
日本に帰化した彼ら外国人たちから同情されているのだから、よっぽど外交下手なんだろうと思います。
◎教育
やはりこれに関しては、反日教育というのが凄まじいらしく、客観的な歴史であろうという姿勢に欠け、
日本がいかに極悪な国であったかを強調するようなストーリーに仕立てられているそうです。
そしてそのように敵を仕立て上げる事で、団結をはかろうとしているのだそうです。
だから内政がうまくいかず、現政権に批判が出そうなときは、世論の反日感情をあおって、国民の目を外に向けさせようとすることが現在でもしばしばおこなわれるそうです。
また日本の教育に対する提言として、戦後教育以後なくなってしまったエリート教育というのが必要なのではないかと指摘されていました。
戦前の日本人には高潔な人物が多かったと一様に高く評価されていました。
エリート教育の必要性に関しては、前にも取り上げた数学者の藤原正彦さんも指摘していた事なのですが、
圧倒的な大局観と公に奉仕するという気概をもった優秀な人材を育てる必要があると述べられていました。
現在の官僚主導の政治、自分たちにどうやって権益を集めるかに奔走している人たちを見ていると、
エリート教育というか、公に奉仕する気持ちをどう育てるかということが大事なように思います。
◎道徳
アジアは儒教の教えを共有していますが、道徳教育は外から与えられると、形だけになりがちで、道徳心が育たないのだそうです。
そういう意味で、中国数千年の歴史は、儒教のような道徳教育では人間を良くしないという失敗の良い例だと中国人そのひとが述べていたのには驚かされました。
韓国でも儒教が重んじられ、礼儀がたいへん重視されるらしいのですが、反面、詐欺などの犯罪が異様に多く、日本の数十倍なのだそうです。
それでは儒教の影響を受けている日本はどうかというと、
日本人の道徳の規準は美的感覚にあるのだそうです。
人に見られて、みっともない、というのを嫌うそうで、これはアジアの中でも特異なことだそうです。
臨床心理学者の河合隼雄さんも指摘されていましたが、日本人は「汚い」という表現を使います。
これは欧米流のフェアー、アンフェアーとはまた違った判断基準で、いくらルールにのっとっていても「汚い」のはだめなのだそうです。
また日本人はそのような美的感覚に基づいて、内発的な道徳心をそだてているそうで、これは神道や武士道に由来すると述べられていました。
内発的な道徳心かぁ~、へぇ~と思わされました。
聖書の中に、祈りはわざと人に見られるようにするのではなく、人が見ていない部屋の中でしなさい
というキリストの言葉がありますが、
私はそれを読んで、なんだそれ?って思ってしまいました。
外から押し付けられ、形を重視する儀礼的な道徳教育がなされると、
人に見られていなければ何をしてもいいのだということになり、逆に犯罪などが増えるそうなのです。
私は道徳教育でもっとも大切な視点は、臨死体験者が述べるている視点だと思います。
人は死後、自らの人生を振り返る体験をするそうなのですが、その中で相手の立場に立って再体験しなければならなくなるのだそうです。
もし自分が相手に不快なことをしていたら、その不快感を味わわなければならず、これは相当つらい体験なのだそうです。
キリストは、自分がしてもらいたい事を人にしなさい、と述べ、
孔子は、自分がして欲しくない事を人にしなさんな、と述べていますが、
ともにこれは「死」という視点からみたら当然で、結局自分が苦しまないため、自分のためであります。
これは必ずしも人間だけでなく、
たとえば臨死体験者であるダニオン・ブリンクリー氏は、羊を虐待している現場を目撃して、その虐待している人を殴り倒して、羊を解放したことがあるそうなのですが(笑) 、
臨死体験の中で、その解放された羊が感謝しているのを感じたと述べています。
つまり動物を虐待すれば、その動物が感じていたことをその動物の立場に立って再体験しなければならいそうです。
こういうところから、インド哲学でいうところのカルマが発生して、次の生に影響を与えるのでしょうが、
そこまで述べなくても少なくとも臨死体験者は、共通して死後そのような体験をしたそうだという知識をもっていれば、
自らの行動も内発的に相手を思いやる方に向くのではないかと思うのです。
これがもっとも単純で理にかなった道徳教育だと私は思うのです。
つづく、、、
参考:
黄 文雄、石 平、呉 善花 (著)
帰化日本人―だから解る日本人の美点・弱点
李白社 (2008/11)
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