2009年9月24日木曜日
視力をよくする ⑥
視力に関わるその他諸々、、、
1. 目薬
視力が悪くなりだした頃、眼医者にいくと「仮性近視ですね」といって、ある目薬を渡されました。
それは目の筋肉を弛緩させるもので、要は使い過ぎなので筋肉を休めさせなさいということのようでした。
その眼薬をさすと、焦点が定まらず、視界がぼやけた感じになって、
わぁーへんなの、とちょっと楽しんでいたのですが、なんかおかしな眼薬だなと感じていました。
私はトレーニングをする方に舵を切ったので、それ以来眼医者には行きませんでしたが、
何年か後に、その例の眼薬は、失明の恐れがあるとかで処方が中止になったというニュースを聞きました。
科学の世界では良くあることで、世紀の大発明だとか、夢の物質だとか一時期もてはやされるものの、
あとになって史上最悪の発明品であることが判明したりします。
この目薬も似たようなもので、不自然なもの、人為的なものは健康によくないと私は思ってます。
そういう意味で、市販の疲れた時にさす眼薬も私は使いません。
一時期、ビタミンが入っているだとか、目の疲れにいいだとかいう目薬を使っていた時期がありましたが、
目薬をささないでいると、目が充血してきて、シパシパするようになりました。
なんとなく眼が目薬に依存して、自らの回復機能を弱らせている感じがしました。
それ以来目薬は一切さしていません。
近い所を凝視しすぎない、たまに眼をぐりぐり動かす、まばたきをちゃんとする、疲れたら眼を温めるなど、
眼の本来持っている機能を生かし、高める方向にもっていけば、目薬をさす必要はまったく無いように思います。
薬というのはよくよく考えたうえで使わないと、本当にもろ刃の剣だと思います。
2. サングラス
これからは、オゾン層が薄くなって紫外線が大量に降り注ぐようになるので、外出時のサングラスは必須アイテムになってくると思います。
オーストラリアなどでは、南極周辺にオゾンホールがあくので、子供は紫外線よけのクリームを塗り、サングラスを着用して外出という、
ホントにここは地球なのかと思えるほどの装備をしています。
紫外線によって肌にシミが出来るように、網膜も長い間に紫外線によって劣化してくるそうで、
若いうちから外出時にサングラスをかけるようにした方がいいのかもしれません。
しかしUVカットのない安いサングラスをかけると、瞳孔が開いたところに紫外線が大量に入ってきてしまうので、逆効果になります。
3. レーシック手術
これは角膜にレーザーを当てて削り、視力を良くしようとするものだそうです。
最近どこかのクリニックで合併症がでて問題になりましたが、私はよくこんなものに安易に飛びつくなぁと思ってしまいます。
どうして眼が悪くなったのか、その原因も考えないで角膜を削って視力を良くしても、
以前と同じような眼の使い方をしていたら、もって数年で、すぐまた眼が悪くなってしまうのではないかと想像します。
歴史も浅いし、とても危うい手術だなと思います。
目薬のところで書いたような、「画期的な科学技術」の一種のように私には写ります。
4. 視力回復コンタクト
これは、角膜を精密に測定して、それぞれにあったコンタクトを作成し、寝ている間に装着して角膜の形を変え、視力を回復させるものらしいです。
オルソケラトロジーとか呼ばれるらしいですが、これなんかは眼にそれほど負担をかけるものでなく、いいのかなという気がしますが、
専用のコンタクトを作ったりするのに数十万の費用が掛かるそうです。
また角膜が変化するのに伴って、コンタクトも新しくしていかなくてはならないので、費用はかなりかさんできます。
私は眼の機能をよく理解し、それを生かす方向で生活習慣を改善し、眼をトレーニングしていくのが、理にかなっていて自然で一番いいと思います。
上にあげたような人為的な不自然な視力回復に頼ると、本来レンズの柔軟性によって遠近に焦点をあわせているものが、
遠くのものに焦点が合うようになるかわりに、今度は近くに焦点があわなくなるということも十分考えられます。
「専門家」のいうことを鵜呑みにして、お金を払って安易なものにすぐに飛びつくのでなく、
ものごとをよく観察し、情報を集め、自ら確かめ、道理にかなった、自分に合った方法を模索していくというのが、
手間はかかるものの、もっとも安全で確実な視力回復法だと私は思います。
長々とシリーズで書いてきましたが、私はブログを書き始めた時点で、視力についてはいつかまとめて書くつもりでいました。
というのも、あまりに多くの人が安易にメガネをかけてしまう事を残念に思っていたからです。
ここに書いた事が視力回復を考えるひとたちの何がしかのお役に立てれば幸いであります。
おしまい。
参考:
レーシック〔ウィキペディア〕
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2 件のコメント:
全くその通りですね。
少年少女時期から、自分の目がどんなに大切な物なのかを認識・意識して、しっかりした根本的な正しいメンテナンスを焦らず継続する、成熟した社会としての習慣が定着すれば、
眼科のお世話に成ることは、本当にぐっと少なくて済む快適な環境になるのになと思います。
レンズに紐を付けて掛け、良く見える良く見えるといっていた昔の時代の環境の延長のままでしかないですよね。
生まれてきてから、自分の身体をどのように毎日の生活中で、メンテナンスするのが良いのかと言う様な学問があっても良いような気がします。
でも、今の社会では、工場・機械・橋・道路・高速道路・建造物・ありとあらゆる物・人間までも、作りっぱなし当たり前に近いスタンスの考え方が強いので、悲しいかな、そちらへの方向転換はなかなか、生まれてこないのかな。
彦兵衛さんのブログが、その様な意識の変換への、足掛かりになると良いですね。
医療保険制度の崩壊の危機に瀕した現状の中で、このような方向への転換を模索する人が、これから増えて来る事を祈っています。
なんじゃもんじゃさん、コメント有難うございます。
権威を盲信しない、なんでも人任せにしない、自分で確かめてみる、というのは、とても大事なスタンスだと感じています。
毎日していることは、それが間違ったことであった場合、かけた日数のあとにでる結果は相当大きな支障として現われるといのが私の実感です。
だから逆に毎日少しずつでも体を健康にして行く方にもっていけていれば、10年後、20年後にそれを意識していなかった人との差は雲泥の差になるだろうという気がします。
≫生まれてきてから、自分の身体をどのように毎日の生活中で、メンテナンスするのが良いのかと言う様な学問があっても良いような気がします。
本当にそうだと思います。『乳がんと牛乳』のプラント博士のいう、マクロなし視点、
建築家ガウディの説く総合の観点が必要だと思います。
大学の講義にも健康学みたいなものはありましたが、
健康とはそもそもなんぞや、、、
という哲学的なものだったり、栄養だったら栄養だけ、運動だったら運動だけと、
人間全体の機能を網羅するような健康学というのにはお目にかかった事がなかったです。
本当はそういうものこそ必要だと思うのですが。
そんな学問が誕生するといいなぁ~。
病気になってから何かをしようとすると、それを覆すのに莫大な労力・出費が掛かりますが、
病気として顕現する前の段階で処置してしまえれば、ものすごく小さな力で済んでしまいます。
そういう意味で、本当の医学の進んだ国というのは、予防医学の考えが徹底してる国であると思います。
昔の医聖と呼ばれてきた人たちは、病気になってから何かをするのは愚の骨頂だということを述べています。
病を政治にたとえるなら、それは戦争にあたるでしょうか。
戦争になってから、それを収拾しようとするのはとてもたいへんですが、
そもそも外交によって戦争を回避すれば、人も死なず、戦費もかからずに済むのです。
世の中ではよく孫子の兵法が引用され、
兵は詭道なり(戦いにおいては相手の意表をつくのが一番である)
などの言葉が引用されたりしますが、実は孫子は平和主義者であり、外交の重要性を一番に説いています。
そしてその外交の下の下の手段として戦争を位置づけているのです。
戦争は華々しいですが、一番大切なのは外交で戦争を回避する事です。
それと同じで、真の医学でもてはやされるべきは、画期的な薬や手術法などではなく、
毎日の生活で如何に病気にならないようにするか、その方法の確立と啓蒙・普及にあると思います。
これからは、ひとりひとりが気をつけて予防医学の方にシフトしていくといいなぁと思います。
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