2009年10月5日月曜日

メヴラーナの七つの教え 〔Seven advice of Mevlana〕



先日、NHKの世界遺産を紹介する番組で、トルコについてやっていました。


世界遺産への招待状



この番組の中で、セマーという旋回舞踏が紹介されていました。





これはイスーラムの宗教家メヴラーナ(ジャラール・ウッディーン・ルーミー)という人によって始められたそうです。




番組の中では、メヴラーナの七つの教えの内に一つとして以下のことばが紹介されていました。




"海のような寛容さ" ここに至るための修行法がセマーなのだそうです。

メヴラーナによると、星空をはじめ、すべてのものは回転している。

したがって、自らも回転することによって、万物と一体となることができるのだそうです。







イスラームにおいて、このような回転舞踏などによって神との一体感を感得しようとする、

あるいは本来自分たちが神とひとつであることを思い出そうとする宗派を、スーフィズム(イスラム神秘主義)といいます。


私は一時期スーフィズムに関する本にハマっていたことがありますが、

モスクにあるようなアラベスク模様のように極めて緻密で深遠かつ高度な教えだという印象を受けました。

スーフィズムの主な修行は、先の旋回舞踏神の名を繰り返し唱えることの二本柱だったように思います。

この同じ動作の繰り返しによって、瞑想と同じようなある種のトランス状態となり"大いなる心"と一体となることを目指すそうとするのだそうです。


私はこの旋回舞踏はチベット体操と同じで右回りかと思っていたのですが、今回見たトルコのセマーは左回りだったのが意外でした。

地球の北半球は北極から見ると左回りに回転しているので、水も排水時には左巻きに流れていき、それと同じに左に回るということなのかと思いますが、

チベット体操をはじめ、チベット体操の本の中でも紹介されているスーフィーの旋回や、アボリジニーの旋回、

またネイティヴアメリカンにも右に回ってエネルギーを高める方法があるようなので(参考:
アヤワスカ )、

このような宗教的な伝統にある旋回はすべて右回りなのかと思っていましたが、左回りもあるんですね。


チベット体操の中の説明によると、右回りは生体のエネルギーを高め人を若返らせる働きがあり、

反対に左にまわると逆に作用すると書かれていましたが、実際のところはどうなのでしょうか。

スケート選手やハンマー投げの選手などもみんな左に回ってますが、特に老けているということはないように思います。


さて、先のメヴラーナの教えは七つあるとのことで、番組ではその中のひとつしか紹介していなかったのですが、

ネットで調べてみたところ七つすべてありました↓

Seven advice of Mevlana
メヴラーナの七つの教え

 In generosity and helping others be like the river.
気前の良さと人助けは川のように

 In compassion and grace be like the sun.
慈しみ優しさは太陽のように

 In concealing others' faults be like the night.
他者の欠点を包み隠すのは夜のように

 In anger and fury be like the dead.
苛立ちや怒りに対しては死人のように

 In modesty and humility be like the earth.
謙遜や慎み深さは大地のように

 In tolerance be like the sea.
寛容は海のように

 Either exist as you are or be as you look.
あなたのあるがままでいるか、あなたの外見のままでいなさい。


イメージでとらえやすい、詩的でとても美しい表現だと感じました。


このようにメヴラーナは常に寛容の教えを説いたそうで、

彼が亡くなった時、宗派を超えてキリスト教徒やユダヤ教徒なども葬儀に集まったそうです。


私は本来宗教というものはそういうものだろうと思います。

それぞれの宗派が違う神の名前、神の姿、異なる修行法を奉じているのは、ちょうど同じ山に対して色々なルートからアプローチするのと同じだと思います。

「山」に対して、マウンテンというか、やまと呼ぶかでどちらが正しいのか争うのは馬鹿げているし、

どのようなルートで山の頂上に至ろうとするかも様々なルートがあっていいのだと思います。

もしかしたら山のすそ野でその周りをぐるぐる回っているだけのこともあるかもしれませんが(笑)。


私は宗教というのは本来寛容なものであって、お互いから学びあうことが可能であると思っています。

神とか、大いなる心、あるいはサムシング・グレートと読んでもいいですが、そのありよう、人間との関係というのは、

たとえば地球や太陽のあり方に対して、石器時代の人たち、中世の人たちがどう思っていようがあるがままに存在していたように、

どの宗派の人、無神論者、不可知論者がどのようにとらえていようと、厳然として"ある"のだと思います。

したがって、様々な宗教的な天才たちがそれぞれの時代、文化を通じて伝えようとしたことを総合していくことで、

そこに文化などに色づけされていないクリアーな本質が見えてくるのではないかと思います。

そういう意味で、他の文化、異なる宗教を学ぶということは大切だと思っています。

メヴラーナに関する著作も日本語で何冊かあるようなので、これを機に是非読んでみたいなぁと思っています。


おしまい


参考:

〔ウィキペディア〕
メヴラーナ(ジャラール・ウッディーン・ルーミー)


メヴラーナの七つのアドヴァイス
http://www.geocities.jp/sora_arimasu/tk05sd.htm


アマゾン:メヴラーナに関する本




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